蓮如上人が北陸布教の拠点にされた吉崎別院を再興させ、上人の恩に報いたい。そのような熱い気持ちを持った別院に縁のある門徒、僧侶らが吉崎に集いました。
今年5月に本堂天井の支輪(折り上げ天井を支える湾曲した竪木)が参拝者の目の前に落下しました。日々のお勤めや二十五日講といわれる蓮如上人のご命日に開かれているお講、あるいは300年以上の歴史を持つ御忌法要が勤められる本堂で、参拝者にもしものことがあってはいけない。そこですぐさま本堂を閉鎖し、本山からの特別助成をもって10月から約1ヶ月かけて緊急営繕工事を行いました。緊急営繕では、支輪の補修の他、格天井の補修、電球のLED化、漏電防止のための配線工事を行いました。
【別院に縁ある方々による御移徙法要】
11月19日には、工事が終わり聞法道場としての再出発とする御移徙法要が本堂で勤められました。
午後からの法要のため、朝から仏具のおみがきと本堂及び別院会館の大掃除が行われました。蓮如講や蓮如上人御影道中協力会の方々をはじめ近隣教区の小松・大聖寺からのご門徒、また富山県や関東から来られた方も参加。御影道中に魅せられ、一緒に道中を歩いた時の感動が忘れられないと語ってくださった方もいらっしゃいました。
掃除の後は、いつも別院の食堂を切り盛りしている職員が腕によりをかけた「蓮ちゃんカレー」を皆で食べて法要に備えます。
そして午後1時。五辻信行吉崎別院輪番、宇佐美賢樹吉崎別院責任役員をはじめ、三教区の役職者の方々が内陣に出仕し、阿弥陀経が勤められた後、正信偈・念仏・和讃を唱和する声が堂内に響きました。里雄康意宗務総長からは「宗務当局が推進する真宗教化センター構想実働の基本理念を具体化するためには、このご旧跡に学ぶべきものが多いと受けとめています。すなわち、教法によって人と人の新たなつながりを生み出し、そこに生まれた意義と生きる喜びを発見した人々の謝念と共感を組織化する御仏事としての純粋なる信仰運動が展開されたということです(本山職員による代読)」と法要勤修の喜びが伝えられました。輪番からは「吉崎別院の再興は何も本堂の修復ということではありません。教えからはじまる人と人とのつながりによって生まれる道場の回復こそ、真の興隆なのではないでしょうか」と強い意気込みが伝えられました。その後、小松教区門徒会長の牧口公衛さんと吉崎別院監事の佐々木稔さんの感話では「上人の恩徳に報いるためにも何とか私たちが力を合わせて別院の再興をしなければ」(牧口)、「別院の現状を嘆く前に、今一度私たち自身がお内仏のある生活をしているかどうかを問いかけなければ」(佐々木)と熱く訴えかけました。
【吉崎別院の将来展望を拓く】
1471年に建立され、4年2ヵ月の間滞在された別院の前身である吉崎坊舎で蓮如上人は数多くの御文を作り、親鸞聖人のお念仏の教えを平易に説かれました。また、無数の真宗門徒が親しんでいる正信偈・和讃を開版し門徒の朝夕の勤行の原型を作りました。北陸一円の越前・加賀・越中・能登はじめ、遠くは越後・信濃・出羽・奥州の国々から、御同朋が群参し真宗の聞法道場として興隆したのです。本願念仏の教えが蓮如上人によって宣布されたことが機縁となり、そこに仏法によって展かれる人と人のつながりが、新たに真宗の生活文化を創造して形成されたのでした。また、後の山科(京都)・石山(大坂)の両本願寺の創設をもって真宗再興を成し遂げた上人の大事業の原型が、吉崎坊舎に見ることができるのではないでしょうか。「蓮如上人がいらっしゃってくださったからこそ親鸞聖人のお念仏の教えが私たちに伝えられてきたんだ」。ご門徒の皆さんの中にはその思いが強くあるのです。
ご門徒の皆さんからは口々に、「ここ数年の別院報恩講の様子は寂び寂びとし、御影道中や御忌法要も同様の状況が続いている。何とかしないと」という言葉が聞こえてきます。このたびの法要が、「一宗の繁昌と申すは、人の多くあつまり、威の大なる事にてはなく候う。一人なりとも、人の、信を取るが、一宗の繁昌に候う(御一代記聞書)」という蓮如上人の言葉が体現される再出発の第一歩となることが願われています。
そのための実験的な取り組みの可能性と具体化の方法について、関係機関と意見交換を重ねながら、「吉崎別院境内総合計画」の実施に向けて歩みだそうとしています。
・この法要の前日には、蓮如講や御影道中協力会の方々による寄り合いがあり、別院の将来について語り合いました(動画「吉崎別院の将来展望を拓く」をご覧ください)。