住職さんと「百日聴聞会」札
住職さんと「百日聴聞会」札
百日聴聞会 ~真に聞くということ~

大分県宇佐市四日市にある四日市別院と日豊教務所、その境内にある勝福寺では、現在、「宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌お待受け百日聴聞会」と銘打たれた聴聞会が開かれている。この聴聞会は2009年1月17日からほぼ毎週土曜日に、毎回講師を変えて行われており、御正当報恩講が厳修される2011年11月28日に100回目を迎えることを目標にしている。

7月のある日、第61回となる聴聞会に参加させていただこうとお寺に向かうと、開始までまだ時間があるにもかかわらず、本堂には楽しそうな声があふれていた。その顔ぶれを眺めてみると、日豊教区のあらゆる地域から僧侶・門徒を問わず集っているようであった。聴聞会は坊守さんを調声人としたお勤めから始まり、その後、講師によるご法話をいただくという内容である。その日の講師は川島弘之氏(元高校教師)で、講師自身の真宗との出あいについて1時間半ほどのご法話をいただいた。ここで聴聞会はいったん閉じるが、10数人が残り、先生を囲みながら座談会をするのが恒例になっているとのことである。

勝福寺住職の藤谷知道氏にこの聴聞会についてお尋ねしたところ、こうした会を思い立ったのは、親鸞聖人700回御遠忌の折、暁烏敏師亡きあと、彼を師と仰ぐ方たちが「百日安居」を行ったことにあるという。今から10余年前、蓮如上人の500回忌を迎えるにあたり、勝福寺に集う同行さんの間からも「私たちもやりたい」という意見が出てきて、「百日安居」を行った。上人の500回忌終了後は「汝自当知の会」として月1回、1泊2日の聞法会を定期的に行ってきたという。その「汝自当知の会」の中から、宗祖の御遠忌を迎えるにあたって、今度は公開性をもった聴聞会を開きたいとの声があがり、今回の「百日聴聞会」を開催するにいたったとのことである。

この聴聞会の特色の1つには、まず講師の多様性が挙げられる。講師が1寺院の住職の時もあれば、大学の教授の時もある。また、今回のように外部からお招きすることもある。ともかく僧俗、男女、東西、遠近を問わぬ講師陣には目を見はるものがある。

聴聞会でのご法話
聴聞会でのご法話

また、もう1つの特色として、聴聞会の記録がまとめられ、公開されていることがある。毎回、『如是我聞』と題されたご法話の聞き書きが配布される。この『如是我聞』は当番の方がテープ起こしをして、藤谷氏が毎週、それをまとめているものである。希望者にはそのバックナンバーや、ご法話を録音したCDも譲るようにしている。

どうしてここまですることができるのか、そのことを藤谷氏にお尋ねすると、「聞くということは本当に難しいことで、人はどうしても自分の思いでものごとを聞いてしまう。だから本当に聞くためには何度も繰り返し聞くしかない」と、「真に・聞く・ということをするために、自分たちのできることをしている」と応えられた。

(日豊教区通信員 手嶋 暁史)
『真宗 2010年(9月)』
「今月のお寺」日豊教区宇佐組勝福寺
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。

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