願いのかたち、歴史の重さ
自然に囲まれた地域に西光寺はあります。日本海にもほど近く、かつては漁師の方がたくさんいたといわれています。
このお寺の住職・金津善成さん(54歳)はおっしゃいます。
「この地域では講の場を設けている所が3カ所ほどあります。記録上では1825(文政8)年から続いているとあります。しかし、これはあくまでも記録されていることなので、いつから始まったのか、今となっては確認することができないのです」。
この講の参加者には、真宗門徒のみならず、他宗派の方も参加されることもあるといいます。宗派の壁を超えて、一緒に「正信偈」のお勤めをする。このような光景は珍しく、時には住職でさえ驚かれることもあるといいます。
また、「正信偈」のお勤めの後、西光寺に伝わる達如上人のご消息を拝読するという、これもまたその縁起に関しては不明な点が多いそうです。
最近では、約13年前から中高屋という地域において講の場が設けられるようになりました。お寺から要望したわけではなく、その地域のご門徒さんの「「正信偈」のお勤めができるようになりたい。仏事・教義などをもっと知りたい」という願いから始められるようになったといいます。参加者はどのような気持ちで取り組んでいるのか、住職に伺ってみると、「まず、みなさん喜びをもって取り組んでおられます。どこのお寺でもそうですが、仏教の教えから離れていく人が多い中、このような思いを目の当たりにすると、自分にとっての「真宗」の在り方を考えずにはおれませんね。また、この講には地域をまとめるという役割を担っている部分もあります」と答えられました。
かつては親から子へ、そしてまたその子へと、家族単位で真宗の教えや「正信偈」のお勤め、お荘厳の方法などが伝えられてきていたのですが、家族形態の変化などによって途絶えているのではないかと考えられます。
「これからも世代を超えてお講が続いてほしい。若い人達にもぜひ参加してほしいですね」。西光寺住職・金津さんはそのような願いをもって取り組んでおられます。
来年750回の御遠忌を迎える親鸞聖人。越後に流罪になった時に弟子となった佐々木三郎盛綱(源頼朝幕下の武将。西光寺蔵の文献によれば木曽義仲を追討した鬼神との記述あり)が、この地に庵を結んだのが西光寺の発祥と伝えられる。佐々木三郎盛綱が、関東へと向かわれる親鸞聖人に別れを告げられる場面が描かれた掛軸が西光寺にある。講とともに、歴史の重さを感じずにはいられない。
(奥羽教区通信員 荒川 秀志)
『真宗 2010年(11月)』
「今月のお寺」奥羽教区秋田県西組西光寺
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。
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