お寺を通しての人とのつながり
宮城県仙台市北部に位置する泉区は、泉ヶ岳や七北田川などの自然環境に恵まれる一方で、地下鉄泉中央駅を中心に都市化している街である。その泉中央駅から車で五分程の所にあるお寺が今回紹介させていただく浄満寺である。住職の久保田毅さんにお話を伺った。
浄満寺では5年ほど前から月に1回、「浄誓会」という同朋会を開いている。主に聞法を中心とし、年に1回移動研修と称し他所の大谷派の寺院に出向き、そこを会所として聞法会を開いている。仙台教区はもとより、教区外の近県にも出向くことがある。
このような移動研修の段取りなどはすべて世話人となったご門徒主導で計画されている。ご門徒の「浄誓会」への積極的な取り組みがうかがえる。
同朋会といえば、自坊を会所として開くことが多いのではないだろうか。しかし、積極的に自分たちから出向き、出向いた先で聞法会をしようという発想に驚かされた。住職はご門徒との関係性を大事にされており、それがご門徒の積極的な取り組みにつながっているのだろう。
また浄満寺の境内には「筆墓」と彫られている墓石がある。このお墓は1864年に建てられたものだそうだ。その当時、浄満寺住職10代目の釈恵量さんが寺子屋をされていた。釈恵量さんがお亡くなりになった後に建てられたのが筆墓であったという。台座にはたくさんの人の名前が書かれているがおそらく寺子屋に通っていた子どもたちのものだと考えられる。
この筆墓が縁となって、地元の小学校の子どもたちがこのお墓を見学に来るようになり、その中での1つのエピソードを住職から伺った。
ある時、子どもたちが見学に来て本堂にお参りをした。その時にたくさんの質問を受けたが、逆に子どもたちに住職から質問してみた。「君たち本堂に来てみて何か感じますか」と。そうするとある1人の男の子が、「ここに来たら何かホッとします」と答えたという。そのことに大変感動したというお話をされた。
子どもの頃、お寺というと怖いイメージを持つ場合も多いのではないだろうか。少年の「ホッとします」という言葉の裏には、お寺への親しみがあるように感じられる。
お寺とご門徒の関係や男の子の言葉などを通して、お寺の在り方について改めて考えさせられる取材となった。
(仙台教区通信員 久保田 信立)
『真宗 2010年(12月)』
「今月のお寺」仙台教区仙台組浄満寺
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。
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