吉崎から「合掌の道=御影道中」に参加してみたい
真宗中興の祖・蓮如上人の御影を奉じて、京都・東本願寺(真宗本廟)から福井県あわら市・吉崎別院までの距離を歩く仏事、それが「蓮如上人御影道中」である。本年(2017年)で344を数え、その間、戦時中1年の中止以外は、途絶えることなく行われているとのことである。
志武勲さん(御忌法要法話者)は、この御影道中の随行教導を7回勤める相馬豊さんの表現を借りて「合掌の旅」と話されていた。
合掌する「時」。念仏する「時」が来る。その「時」が連続してきた。その伝統を「行」という。その「行」に参加することを「信」といいます。
御影道中に関わることで、自分に発った信心を表す人々。口数も少なく、心のなかを多彩な言葉で表現することはない。
ただひらすらに蓮如上人のお伴として歩きつづけ、または会所でおもてなしをする。そして、後代につなぐ。
この行為で自分の信心を表現してきたのだ。そして京都から琵琶湖周辺、そして北陸の人々の合掌・念仏する「時」をつなぐ営みになってきたのだ。
本来なら、この御影道中の参加といえば、御下向の7日間、または御上洛の8日間の全日程参加である。
しかし、半日程度ならばこの仏事に「参加したい」「参加できる!」と思っている方も多いだろう。今回、蓮如上人の御影をお迎えしてから連日行われる吉崎別院での御忌法要、そして御影道中の御上洛に1日参拝し、「合掌の道」を歩いてみることにした。その様子を、旅行記として紹介したい。
人生が伝わるお念仏~10日間の御忌法要~
吉崎別院では、京都から蓮如上人の御影が到着する4月23日から5月2日までの10日間、「蓮如上人御忌法要」が勤まる。本堂内陣には御影をお懸けし、右余間にはお輿とお櫃をお荘りして、朝7時の晨朝から、夜7時の初夜まで、毎日勤行・法話が行われる。
参詣すると、参詣のあちらこちらから念仏の声が聞こえる。呻吟のようでもあり、これが咨嗟の声というものなのだろうか。体全体、いや、人生をささげ尽くして仏を仰ぐような声。その声に共鳴するように、別の方からもお念仏の声が出てくる。私もこの方のように、人生さながらに念仏を申す人になりたい。そんなふうに憧れる思いがした。
昼食時には、本堂に隣接している会館の食堂に人があふれかえる。ここでは久々に再会する方がとても多いようで、お互いに元気よく呼び掛け合う声、語り合う声が間断なく聞こえる。一方では、およそ30歳代の若い方が、補聴器をつけた古老の声を聞きもらすまいと、熱心に耳を傾ける姿もある。それから、少し離れたところで静かに昼食を取られていた老夫婦は、昔2人で吉崎に来たことが懐かしくて来たとのこと。一人ひとりの「昔」と「今」が、それぞれの形でめぐりあう時が流れている。
外では、「お茶所」で推進員さんたち(※過去記事参照)が、無料でお茶をふるまっている。10日間、数人で当番を決めているそうだ。年季の入った茶釜で煮出しながら、お茶の出の塩梅をはかっている。「さつまいものふかしたてあるけど、たべるか?」栗のように甘く、餡のようにねっとりして美味しい。参拝を終えた方が近づいてきた。「さっきは無かったね?もらってもいい?」「いつもあるわけでないよ、はいどうぞ」気が付いたら、何人も集まってきて、いもを食べながら雑談がはじまる。本堂では、ごろんと仮眠をとる光景も。
吉崎別院では、そこかしこで、人の動きや生き方が際立って見えてくる。自由に語り合い、自由に関係をつくり、互いに屈託ない。その様子を見ながら、吉崎に参拝している人たちの根っこのところでは何かしら通じ合っているものを感じる。
本堂で体の奥深くからこみあげるような念仏を称えている女性と知り合った。福井県鯖江市からいらっしゃった方だ。35年間、御忌法要に参拝しているそうだ。
「すべて親さま(阿弥陀如来)から生きるお力をいただいております。浄土真宗に会わないかったら私は生きていません。おみのり(仏法)は本当に深い・・・35年でその少しがわかってきました。おみのりを教えていただくのも親さま。私のなかで聞いて下さるのも親さま。頭を下げて下さるのも、手を合わさせて下さるのも、すべて阿弥陀様、親鸞様、蓮如様がしてくださる」
後で職員さんに聞くと、この方は6時に来られて、本堂でずっと念仏を申しておられたそうだ。御影道中は、この方にまで念仏する「時」を引き継いで、信心をもたらしてきた道なのだ。
訪れる人々の人生が香り立つお念仏の法要。ここで一旦帰路につき、後日「合掌の道=御影道中」を歩くことになった。その様子は旅行記②でお伝えする。
♣旅程♣
4/30 ●途中で夕食をいただき、吉崎には午後9時到着(自家用車 駐車場有)
●職員さんに声をかけ本堂参拝、宿泊部屋とお風呂へご案内いただく。
5/1 ●朝6時、各自で起床。
●7時、本堂で晨朝勤行、法話。
●ひきつづき、食堂で朝食。事務所で宿泊費と朝食代の清算(計3,900円)。
●もともとの吉崎御坊があった御山(おやま)散策。
●午前10時、吉崎別院の日中法要に参拝(勤行・法話)。
●本堂の帳場で「お斎券」を購入、食堂で昼食をいただく(500円)。
●外の売店や宝物館、資料館など散策。
●午後2時、本願寺派の御忌法要にも参拝・聴聞。
●午後4時、帰宅の途につく。
♣参拝の合間の拝観・散策ポイント♣
●蓮如上人の銅像(御山へ)
高村光雲氏(1852-1934)の作。墨染の衣に草鞋ばき。手には念珠と笠を持っており、精力的に各地へ赴かれた姿を示している。
この銅像を発願したのは昭和3年。日本は景気が悪く貧困で苦しむ時期であった。このような時だからこそ蓮如上人の銅像を建てようと、近隣のご門徒が発願したのだ。
全国に寄付を募り、また「蓮如さまの銅像に入れて下さい」と多くの金物が寄進された。その中には、ご門徒の仏壇の花瓶や灯籠、半鐘などもあったそうだ。準備から6年かかって完成。除幕式と法要が営まれたそうである。
●蓮如上人お腰掛けの石(御山へ)
蓮如上人はこの石に座り、山から見える美しい光景をときどきご覧になった。雪が降っても、雪に埋もりきらない石を見て、「蓮如さまのぬくもりが、今も伝わっている」と後の人々が語り継いできた。御影道中のお立ち寄り会所で出会った方に「蓮如上人はどんな方だと思いますか?」と聞くと「なんにしろ、あったかーい人。私たちの中にいて、思いだすと心があたたまる」と何人もの方が異口同音に仰っておられた。蓮如上人を形容することばは、あたたかさなのかもしれない。
●「嫁威しの面」説話
この説話は、蓮如上人の吉崎での法話に、毎晩6キロの道のりを歩いてやってくる女性を、その姑が鬼面を使って威かし邪魔を企てようとしたという物語。「嫁」を威す「姑」の話が「嫁威しの面」という物語として何百年と語り伝えられてきたのは、嫁姑の関係の問題が共感を得たこともあるだろうが、物語の中の「食まば食め、くらわばくらえ金剛の 他力の信は よもや食むまじ」という蓮如上人の力強い言葉が、聴いている人々の大いなる励ましとして受けとめられていったからではないだろうか。そして、「鬼の心は、誰でもある。この私にも」とわが身にひきかけて語る蓮如上人のおおらかさと温かさに魅かれていく人々の思いがあったからだろう。「あたたかい人」蓮如上人の記憶は、伝説のいたるところに刻まれている。ちなみに、御影道中でも、今も残る物語の舞台となった地、その名も「嫁威」の集落を歩く。
●その他、資料館など(吉崎西別院、資料館、宝物館、リヤカー)
御山のふもとには、東・西本願寺の別院がそれぞれある。西本願寺でも御忌法要が勤まっている。もちろん、どちらに参拝してもよい。
西本願寺の資料館と、東本願寺の宝物館。蓮如上人に直接関係しないものも多く展示されている。
京都から吉崎までの往復を移動するお輿。リヤカーに装飾が施され、たくさんの花瓶にはいつもお花がお供えされている。
西本願寺の山門前の売店。できたての酒蒸しまんじゅうが届けられていた。
【旅人 竹原了珠(企画調整局参事)】