―わかるようでよくわからない「グリーフケア」という言葉。グリーフケアの取り組みを続ける酒井義一住職に、グリーフケアついて、また、その歩みの中で僧侶として感じていることをお話しいただきました。
グリーフケアの現状と課題
~葬儀や法事の場における僧侶の役割~
文 : 酒井 義一(真宗大谷派存明寺住職)
♣グリーフケアを仏教の言葉で
そろそろ「グリーフケア」という言葉に代わる新しい言葉を生み出さないと…。そんなことを感じています。なぜなら私にとってグリーフケアは、真宗の法座とほとんど変わらないからです。
勤行をし、法話があり、語り合いをし、最後に音楽鑑賞をします。語り合いに重きがおかれ、一人ひとりがいまの自分を語り、まわりはしっかりと聞きます。アドバイスはしませんが、共感したことは相手に届けます。
それは浄土真宗が大切にしてきた聞法(聞く)・座談(語る)と基本的には同じです。なぜカタカナなのか。浄土真宗のかおり漂う新しい言葉を生み出したいのです。「寄り合い談合」「月愛三昧の会」「転悪成徳のつどい」…でも、なかなか生み出せないでいます。
♣人は悲しみをいだく でも求めている
私のお預かりするお寺でグリーフケアのつどいがはじまって11年。毎回20名前後の方々が集まり、場を開いています。
その中で感じていることは、実に多くの方々が苦しみや悲しみをいだきながらいまを生きているということです。そして、どこにも語れる場所がないという思いをもって人々は集まってきます。
人は、自らの悲しみを語ることのできる場所を、心の奥底で願い求めているのではないでしょうか。人は悲しみをいだく。でもその悲しみに光が当たる居場所を求めているのです。
♣悲しみを転じて生きる力と成す
人間が感じる苦悩や煩悩を大きなきっかけとして、いまを生きる私たち一人ひとりが、人に出遇い、言葉に出遇い、教えに出遇い、そしてあたたかな世界に出遇う。それが浄土真宗におけるグリーフケアのいのちなのではないでしょうか。
一人ひとりの抱える苦悩のすがたをきちんと見つめ、人々との共感の場をひらき、教えの世界に出遇っていく。そのような歩みをすすめていくことは、グリーフケアのいのちでもあり、浄土真宗の根本課題でもあると受け止めています。
♣リヴオンという風
リヴオンはいま、仏教界にグリーフケアの風を吹かせ続けている団体です。私がリヴオンと出会えたのはグリーフケアという動きの中に身を投じていたからです。
「悲しみ」ということがキーワードとなり、人と人とをつないでくれたのです。
リヴオンは、大きな組織ではなく、おふたりの若き女性が自らの喪失体験を通して出会った世界のあたたかさを、さまざまな方法でいろいろな方々に語りひろめています。
また、僧侶のためのグリーフケア連続講座では、私もグリーフケアを実践している僧侶として、模擬グリーフケアのつどいを担当させていただきました。
グリーフケアへの新しい学びと、動き出そうとする人々との出会いがたくさんありました。そこからいま、さまざまな動きが生み出されようとしています。
♣僧侶の聞く力と語る力
各地でグリーフケアの動きが誕生しています。社会の現実や教団の現状に対し、「今のままではいけない」という危機感や痛みをもつ僧侶が動き始めているからです。
その動きの中でやはり問われ続けていることは、僧侶の聞く姿勢です。目の前の人の声をじっくりと聞くことができているのか。その声をただ聞いただけで終わってはいないか。じっくりと相手の話を受け止める力、自分が共感したことを自分の言葉で相手に伝えていく力。そのふたつが試されているのではないでしょうか。
聞くことのできる僧侶と語ることのできる僧侶が、いま、時代社会や人々から、求められています。それが実感。
♣私を照らすひかりの言葉たち
この動きの中で新しく出会った言葉があります。たとえば「悲しみは 人と人とをつなぐ 糸である」(藤元正樹)。悲しみをキーワードとして人と人とが出会い、語り、聞くという世界が開かれていく。つどいはそのような光景を何度も私に見せてくれました。
たとえば「悲しみを乗り越えることを 目指さなくていい」(西田正弘)。悲しみは乗り越えるべきものではなく、悲しんだことの意味を見い出すべきものなのでしょう。
また、たとえば「苦をまぬがれるには その苦しみを 生かしていく道を学ぶことです」(蓬茨祖運)。苦しみを消し去っていく道ではなく、苦しみを生かしていく道をこそ学ぶ、それはすべての人々が歩むべき道となることでしょう。
♣私たちがすべきこと
私たちがすべきことは、相手の悲しみを救ってあげるなどということではありません。そうではなく、人間がいだく悲しみのすがたをきちんと知っていくことなのだと思います。悲しみには実はさまざまな姿があります。
それは、不安・孤独・淋しさ・無気力・怒り・自責の念・後悔…。それらのすがたをきちんと知っていくこと、そして、悲しんだことの意味を人々と共に教えに尋ねていくことを大切にしたいのです。
グリーフケアの動きの中で私がするべきことは、悲しみを表現できるような雰囲気を作ること。そして、さまざまな悲しみを内蔵するひとりとして、その場の一員になるということです。
♣はじめの一歩を
お寺はグリーフケアに近いところにいます。宗教的で伝統的な施設があり、なおかつ自由に使える施設もある。悲嘆をいだく人々との出会いがあり、人間を照らす教えもあるからです。
あと必要なのは、一人ひとりの「はじめの一歩」です。
人々の悲しみを代わりに背負うことはできないことです。そして、それはしてはならないことです。「無有代者」(仏説無量寿経)のいのちを生きているのですから。
一人ひとりが悲しみを大切に受け止め、悲しみの意味を問い尋ねていく歩みをはじめていく。そのような私たちの「はじめの一歩」が、ずっと待たれているのではないでしょうか。
(おしまい)
酒井 義一 (さかい よしかず)
1959年、東京都生まれ。真宗大谷派存明寺住職。
同朋会館教導、ハンセン病問題に関する懇談会委員、青少幼年センタースタッフ。自坊では、樹心の会、グリーフケアのつどい、青年のつどい、こども会、こども食堂などを主宰。著書に、『人間回復への道』『ハンセン病と真宗』(共に東本願寺出版)など。
► 存明寺(住職 酒井 義一)HP
► 存明寺グリーフケアのつどい
► 存明寺「グリーフケアのつどい」の様子(2015年7月12日)
► 酒井義一さんに関する記事ほか(法話動画あり)
■リヴオンに関するしんらん交流館HPでの記事