報恩講との再会

著者:廣瀬 惺(同朋大学特別任用教授・大垣教区妙輪寺住職)


報恩講の季節をむかえました。
蓮如上人は報恩講の意義について、「報恩謝徳(ほうおんしゃとく)の御仏事(おんぶつじ)」(『御俗姓』・『真宗聖典』八五二頁)という言葉で述べられています。
ところで、今から十年あまり前になりますが、一人の卒業生から一通のメールをいただきました。
「自坊の報恩講が終わり、その慰労の席でご門徒の一人から、「自分のお寺の報恩講は報恩講になっておるのか」と尋ねられた。そのことに先生ならどう答えるか。」
おおよそ、このような内容のメールでした。その問いかけにスッと答えることができずに、返事を出すのに、二日ほどかかったように記憶しています。そこで確かめさせられましたことは、さて、私が住職をさせていただいているお寺の報恩講を、私はどのような思いで勤めているのだろうかということでした。
「報恩謝徳」のこころで勤めているのかとなりますと、そうだとは言えないものがありました。どこかに、役目すましで勤めているという思いがあったからです。さればといって、それでは、報恩講になっていないのかとなりますと、そうは言えない思いもまた起こってくるのでした。そんな思いを反芻(はんすう)する中で、気づかされてきましたのが、「報恩講になっていない」と言わせないものは何か、でした。勤める私個人の思いをふりかえれば、とても報恩講になっていると言えないものがあります。しかし、そう言わせないものがある。それは、これまで報恩講を勤めつづけてこられた無数の方々の懇念、伝統であることに気づかされたのでした。
一通のメールを通してのその確かめは、私にとって大きな意義をもつものでした。それからも、私個人としてはさまざまな思いで勤めていますが、それだけではなく、むしろそれ以上に、報恩講を勤めつづけてこられた人々の懇念・歴史を感じ、その促しをいただく中で勤めさせていただくようになりました。
それでは、人々が報恩講を勤める中でいただいてこられた親鸞聖人とは、どのような聖人なのでしょうか。そのことを自らに確かめますとき、私には、『歎異抄』を著された唯円(ゆいえん)様が、「聖人のつねのおおせ」として伝えてくださっている聖人が思われてまいります。それは、

弥陀(みだ)の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞(しんらん)一人(いちにん)がためなりけり。されば、そくばくの業(ごう)をもちける身(かず限りない悩みや罪をかかえている身)にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ (『真宗聖典』六四〇頁)

とのお言葉です。この聖人の言葉は、唯円様にとって、聖人の生活そのものがあらわし語っている言葉でもあったのでしょう。
この言葉について曽我量深先生は、「よくよく苦しいことがあるから、申されたに違いありません」とおっしゃっていますが、その聖人は災害や飢饉(ききん)、あるいは実子善鸞様の義絶等、さまざまな出来事・苦難にあいながら、一人の念仏者としてのご生涯を、つねに本願(すべての人の根底にあって、その人の生涯を支えつづけてくださっている真実(まこと))に立ち返り立ち返りしながら、その本願を大地として立ち上がって生きていかれた聖人であることが思われるのであります。


東本願寺出版発行『報恩講』(2015年版)より

『報恩講』は親鸞聖人のご命日に勤まる法要「報恩講」をお迎えするにあたって、親鸞聖人の教えの意義をたしかめることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『報恩講』(2015年版)をそのまま記載しています。

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