(『教行信証』「総序」・『真宗聖典』一五〇頁)
ここに引用した一節は、『教行信証』の冒頭、いわゆる「総序」の後半に出てくる言葉です。あらゆる衆生を摂め取って捨てないと誓う真実のみ言(こと)、世を超え、時を超えて響き流れるみ教え、それが『教行信証』には類聚(るいじゅう)されています。宗祖は、この尊い法を、どうか逡巡することなく聞法思惟してください、と勧めているのです。
仏教では、考えるということについて、ひとつの伝統的なスタイルがあります。端的に言えば、聞思(もんし)ということです。聞思は、一般的な、世俗的な意味での思索ではありません。宗教的な思索です。したがって、その一番基本となるのは、仏法僧の三宝に帰依することです。つまり、聞思は、礼拝(らいはい)に始まる思索です。
私たちの宗祖である親鸞聖人は、聞思という信の伝統に立った人でした。とくに『涅槃経』(迦葉菩薩品)の、
という経言を、「信巻」のみならず、「化身土巻」(『真宗聖典』三五二頁)にも引用し、信は、聞と思によって育まれ、聞法のみで思索の裏付けのない信は不具足であると確認しています。おそらく仏教の歴史の中でも、聞思という信心の伝統を最も具体的に体現した人は、親鸞ではなかったかと思われます。
宗祖のご生涯が振り返られます。その師である法然上人は、阿弥陀仏の御名を称え、「空過」する人生を超えなさい、とただ一筋に教えられました。ここに人々は、本願に生かされて生きねばならぬわが身に目覚め、人生を力強く歩んでいく道を教わりました。法然上人が法を説いた洛東の吉水の道場は、煩悩に苦しめられ、あるいは巷(ちまた)の争いに喘ぐ人々が、仏法を聞いて自分を取り戻す場所であったといっていいでしょう。その人々の聞法の座に、若き親鸞聖人も連なっておられました。
やがてあの権力者の念仏弾圧、いわゆる「承元の法難」に連坐して、聖人は、越後に流されます。この辺陬(へんすう)の地には、もはや師もなく、語るべき友もいませんでした。遺された資料はありませんが、都から離れた、雪深い、この地で、聖人は、内に沈潜し、師法然から聞いた言葉を反復思惟したものと窺われます。越後時代の親鸞聖人を、歴史家の山田文昭先生が「内観時代」と呼ばれたのももっともであると思われます。「聞思」という思索のスタイルは、この越後時代に育まれたのではないでしょうか。
宗祖が西帰されてから七百五十有余年、あらゆることにテンポが速くなり、世俗の知恵に振り回されて、ゆっくり物事が考えられなくなっている今、仏智を伝える教言に聞思しなさいと勧める、宗祖のお言葉の大切さが思われます。
(教学研究所長・安冨信哉)
[教研だより(110)]『真宗2015年9月号』より
※役職等は発行時のまま掲載しています。