「ちむドンドンin沖縄愛楽園
~福島の子どもたちの保養プログラム2014年冬~」
期間―2014年12月23日(火)~29日(月)
宿泊会場―沖縄愛楽園・読谷村民泊
<「ちむドンドンin沖縄愛楽園」実行委員会事務局長
組織部出仕(沖縄開教本部勤務) 長谷 暢>
二〇一四年十二月、年の瀬のハンセン病療養所沖縄愛楽園の海岸では「わ~」「きゃ~」「うお~」とさまざまな歓喜の声を上げ、貝殻を拾ったり海に入ったり、なかにはパンツ一枚で海に飛び込む子どもたちの姿があります。そのうち小雨が降り出し人々がバスに戻り始めます。でも裸のまま砂浜でゴロゴロする子どもたち。その傍らで微笑みながら見守るお母さんたちの姿がありました。
今回愛楽園で初めて開催することとなった、放射線量の高い地域で暮らす子どもたちの保養プログラム。定員二十人で募集したところ、八家族二十人(内子ども十二人)の参加がありました。お母さんたち(引率された方はすべて母親でした)から聞いたところでは、子どもたちは開催期日の前には風邪をひかないよう注意し、本当に楽しみに「ちむドンドン」していたようです。「ちむドンドン」とは「肝ドンドン」と漢字で表記される沖縄の言葉で、「わくわく、どきどきする」という意味です。邑久光明園(岡山県)で開催されている保養プログラムを参考に、同じ思いを込めて今回の保養のタイトルにしました。
日程にはハンセン病問題のほか基地問題に取り組む人々と交流する日を設けました。開催趣旨には、子どもたちの保養はもちろんですが、国策によって被害を受ける人々の交流を大切にしたいということが盛り込まれています。
ハンセン病問題については、今回共同代表の一人、退所者のさんに園内の案内をしていただきました。しかしそれだけではなく、毎晩遅くまで続いたお母さんたちとの語らいの場で、退所者の代表として国とどう向き合っているのか、奪われたものを取りもどすために訴えることの大切さを、お母さんたちに活き活きと話しておられました。それは単にを飛ばすだけではなく、国策によって、一人のハンセン病回復者として社会の中で潜伏するかのように生きることを強いられた自身の苦しみと、今福島で起きている現状を重ね合わせて話されている姿がありました。「愛楽園の方とお酒をいただきながらの会話は、私のこれからの生きる勇気になりました」「ハンセン病回復者の方々をお手本に、失ったものをこの手に取り返したいと思いました。安全な土地で暮らす移住の権利、それがかなうまでは保養に出る権利を」という感想をいただき、平良さんの思いが伝わっているのだと思いました。
基地問題では、沖縄の県知事選挙、衆議院選挙で新基地建設反対の民意が示された直後に、全国的に話題となっている辺野古を訪問しました。長年反対運動を続けてこられた方々の思いに共鳴する参加者もあったようです。中には辺野古で長年座り込みに参加している方と「座り込んで」話し込む方もいました。また実行委員の一人である沖縄キリスト教平和研究所の氏が、普段は海上で反対運動の最前線で活躍している「不屈」という名の船で、本当に美しい辺野古の海のスポットを案内してくださいました。美しい珊瑚を覗き込んで、親子ともども沖縄の人々が守りたいと思う海の美しさを感じていただいたようです。「辺野古では島民としての大変さ、苦しさ、悲しみ、国に対しての憤り、不信感など、立場は違うが共感した」という感想をいただきました。
日程の後半では、読谷村で民泊を受け入れている団体「ちゅらむら読谷」の協力で民泊が実現しました。また日程中子どもたちと遊んでくれたのは、愛楽園と同じ市内にある名桜大学の学生ボランティアの方々でした。期間中、本当に子どもたちを楽しませてくれました。また長年内部被曝の危険性についての研究に携わり、原発事故以降、幾度となく福島の現地調査もなさっている共同代表(琉球大学名誉教授・物理学者)の話を聞く時間も設けました。福島の現状で生活する危険を科学者として話されたので、複雑な思いでその話を聞いた参加者もいました。
このほかにも人形劇を見たり、愛楽園入所者の方々のクリスマスパーティに招待されたり、向かいの島まで長~い橋を歩いて渡ったりと、子どもたちが楽しむ時間が盛りだくさんで、どれもボランティアで協力いただいたものばかりでした。特に宿泊、バス、諸行事の手配から開催協力金の募金活動にいたるまで、愛楽園自治会ならびに愛楽園の全面的な協力がありました。そのおかげで滞在中の生活環境が快適であったとの感想を皆さんからいただきました。
今回の開催をとおして、福島出身で沖縄の基地問題にも深い関心を寄せる高橋哲哉氏が沖縄の基地問題、福島の原発の問題をあげて「犠牲のシステム」と呼ばれていることが思い起こされました。ある者たちの「犠牲」の上にしか成り立たない社会の問題を指摘されていますが、ハンセン病であった人々の「犠牲」も含まれるにちがいありません。国のため、国の大多数の人間のために、少数の人々の不利益を可とするこの国のすがたを言い当てていると思います。御同朋と呼びかけられながら共に生きていくことのできる世界を浄土として大切にするならば、「犠牲のシステム」において「犠牲」となっている人々の想いと姿が、大きな問いかけとなって現れてくる、そんなことを感じる七日間でした。
《ことば》
「追い詰められているような気がする」
Fさん
昨年の多磨全生園報恩講の日、ワゴン車がショッピングセンターの前に駐車、映像用のカメラを搬出する人たちの姿を見ました。Fさんに聞いた所、樹木希林さんらが出演するハンセン病を題材にした映画の撮影だと教えてもらいました。
報恩講終了後、Fさんが「映画制作もハンセン病問題の啓発のためだと思います。それはそれでいいのですが、何故か、追い詰められているような気がするのです」と、何とも言えない複雑な胸の内を話されました。長い間願っていた「らい予防法」の廃止、園の内外でも「啓発」活動や学習会の開催、園を訪れる人もたくさんおられました。そして、小さい子らの声も園内で聞こえるようになりました。住まいも長屋風夫婦舎から、マンションタイプになりました。しかし、その状況とは裏腹に、今、平均年齢八十余歳、体調不良などで、報恩講へのお参りは園に住まいする方三人、園内の風景は様変わりし、一人、また一人と命の終りを迎え、ただただ入園者は減少していき、否応なく、孤独感が迫ってきます。
映画撮影、「最後の一人まで」という基本法の約束までも、急かされる思いの一つとなって、迫ってくるのだと察します。「らい予防法」廃止から来年で二十年のその今、また、新たな課題をいただきました。
(東京教区・旦保立子)
真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2015年3月号より