声に聴く──入所者・退所者の皆さんから
「真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会」広報部会・東京教区 旦保 立子さん
●はじめに
原稿を書くにあたり、あらためて「ハンセン病はいま 266」のタイトルが気になりました。「いま」ということと、「266」という掲載ナンバーのことです。266ヵ月(22年2ヵ月)、その一月一月が「いま」という時を指し示すのではないか。そして、「いま」は過去・未来を含み、やむことのない刻一刻である、と。ハンセン病問題は、腰を下ろしそうになる私にまだまだと叱咤の声を届け続けてくれています。その声を聴く時と場の一つが「ハンセン病問題全国交流集会」だと思います。
●療養所の歴史に学び、継承すること
昨年9月、富山県を会場に開催された全国交流集会は、1997年9月、第一回京都での開催から数えて11回目となります。その22年間、私は何を見、聞いてきたのか。今となっても、その問いかけは払拭されないでいます。
今回の全国交流集会では、国立ハンセン病療養所13園の中で最も新しく、敗戦間近の1945年6月、傷痍軍人のために開設された富士の裾野にある駿河療養所の入所者自治会「駿河会」会長の小鹿美佐雄さんが、お話してくださいました。
ハンセン病療養所のほとんどは、入所者自身が過酷な労働条件を強いられ、土地を開墾し、設備を整え、農園を作り、牛舎豚舎を築き、生活を維持してきました。同療養所もまた、戦後、全国の療養所入所の傷痍軍人44人が建設部隊として入植し、食料不足、物資不足の中、まさに血のにじむ重労働によって今日の療養所の礎が築かれました。入所者はあまりの過酷さに、出身園に帰るか、転園するかを真剣に考えたと記録されていると話されました。以来74年が経過しました。
現在の駿河療養所の建物、生活、医療、福祉の各環境は当時をしのばせるものは見られませんが、全く不使用の火葬場が樹木に覆われ、苔むして山中に存在するのを案内してもらったことがあります。
ハンセン病療養所は絶対隔離を条件として作られました。どの園も人里離れた山や島に位置しています。同園は箱根外輪山の中腹、標高500メートルの丘陵地にあり、西に富士を眺め、南遥かに駿河湾を望む確かに風光明媚なところにあります。しかし、「隔離する上では便利なところ」に作られ、療養所に行くためだけの2キロの山道を登らねばならないのです。今もバス路線はありません。
●現在の課題とは
小鹿さんは言われます。「一般の老人施設に比して職員数は多く、医師、看護師が居て、充実していると言えるかもしれません。その点で表面上は恵まれているように見えるかもしれない。しかし内実を見る時、医療体制は非常に貧困である。6名の定員中、常勤は歯科医師を含めた3名のみ。さらには、医療・療養所運営の要である所長が不在である(多磨全生園と兼任)。医療における人員不足はまさに見捨てられた感は否めず、国は最後の一人まで面倒を見ると約束しているが、この現況では不信感を抱かざるを得ない。まさに「終の棲家」としては、なんとも淋しい限りである」と。
さらに、「ハンセン病の後遺症、高齢化による疾病、入所者数の減少(2019年9月現在47名)の中、療養所の将来はどうなるのか、どうしたら、安心して過ごせるのか、私たちだけでは考えられないのが現状である」と語られました。
各療養所の将来構想は喫緊の課題です。そこに現に生活する人がいる。その人が見えていますか、忘れていませんかとの切実な声でした。
●退所者の声に聴く
現在、13園の入所者は約1000名、退所者・非入所者は全国で1102名(2019年2月現在)と聞きます。関西退所者原告団いちょうの会の宮良正吉さんは「病そのものと異なる苦しみ(退所者特有の苦しみ)」を語ってくださいました。
国の約90年に及ぶハンセン病の隔離政策と無らい県運動は、「らい予防法」廃止、国賠訴訟勝訴という判決によって、国に謝罪・名誉回復・社会復帰・社会生活支援等を約束させた。しかし、それから20余年経った今、その現実はどうであろう。根強く偏見差別は続き、病歴を隠し続けての生活を余儀なくされている退所者・非入所者は多くおられます。また、後遺症や高齢による病気治療・診察は一般医療機関では診てもらえず、療養所への入所・再入所によって、治療加護する回復者が増えています。やむを得ずの再入所です。
宮良さんたち関西退所者のいちょうの会では訪問看護・介護の実現、協力病院とハンセン病学会とのネットワークの構築、国への医療費・介護費の個人負担分の助成、そして、偏見差別解消への人権啓発・研修─を課題に日々取り組んでいることを報告されました。
●丸ごとの社会復帰の場を求めて
入所者にとっては、隔離の場所であった療養所がそこに生活しながらの丸ごとの社会復帰となる場の展開、退所者にとっては、真に隠す必要のない生活の実現が望まれます。
それは、不作為を認めた国と私たちが、「明らかに被害を受けた人々にとって、心の底から納得できる解決とは何か」を入所者・退所者・非入所者の声に顔の見えるところで、耳を傾け続けることではないでしょうか。
《ことば》
「排除・差別して来た側の人間が、被害の声にどれだけ耳を傾けられるかにかかっている」
黒坂愛衣さん(東北学院大学経済学部准教授)
第11回全国交流集会で心に残るのは、実の親を恨み責めてしまったという声だ。ハンセン病家族としての差別の辛苦を「私を産まなければよかった」「辛い目にあうのは父のせいだ」と突掛けたこと、責め嫌ってしまった後悔を「父を嫌ったことが一番つらい。もう取り返しはつきません」と言葉にされていたことが忘れ難い。
黒坂さんは、家族が被害の声を上げることがいかに難しいか、その被害の声こそが社会を変える力を持つこと、そして冒頭の言葉を講演始めに述べられた。
集会を通して様々な声を聞く中で、差別の社会構造がなお存在し今日も誰かの人生を損ない続けている事実が、確かな現在として心に触れた。
その・確かさ・は、身を通して語られる言葉の力によるものだ。難しさの中で届けられた声こそが変革の力を持つ。それは無数の声にならない声の在処へ我々を導くものだからだ。家族訴訟原告の大多数が匿名である意味を真摯に受け止め、今こそ耳を傾けたい。
(高岡教区 藤田曜世)
真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2020年4月号より