目次
伝道掲示板
道に迷ったら
たちどまって
道を知っている人に
尋ねるのが一番
そのうちにと思っていると
日が暮れてしまう
(鈴木章子『癌告知のあとで』)
法語にて仏縁を
翠竹山浄照寺は、九州自動車道松橋インターを降りて西に車で十分の、竹林が綺麗に並ぶ閑静な住宅地の中にあります。また境内には、一九五八(昭和三十三)年に東本願寺第二十四代闡如上人が浄照寺にお立ち寄りになられた際に植樹なされたカイヅカイブキがあります。
植樹の翌年、一九五九年に浄照寺浄和仏教婦人会が結成され、今年で六十三年目を迎えます。その婦人会の第三代会長と副会長のお二人が、一九九四(平成六)年四月に「一人でも多くの方に仏縁を」という願いの元に掲示板を寄進してくださったのが、浄照寺の掲示板の成り立ちです。山門の左横に立っている掲示板は、二〇一六(平成二十八)年に熊本地震が起きた際も、境内は大きな被害を受けましたが、掲示板だけは傷を負いながらも山門の横でどっしりと佇んでいました。
掲示板を始められて間もなくの頃、子どもから「これ、なんて書いてあるの」と尋ねられました。それをきっかけに、どんな方が法語を見てくださっているのか意識するようになり、送り仮名を付けたり、言葉や季節によって紙の色を変えてみたりと、試行錯誤の連続で、「優しい言葉で伝えることの難しさ」を痛感されているとのことでした。続けていく中で、掲示板の前で手を合わせてくださる方、写真を撮られる方、言葉の意味を尋ねて来られる方など、少しずつではありますが目に留めてくださる方が増えていきました。毎月二十八日に行われる婦人会の学習会のテーマとしても活用されています。
住職は掲示板にまつわる印象的な出来事として、三年前にお連れ合いを亡くされた女性のことを話されました。
人は去っても その人のほほえみは
去らない
人は去っても その人のことばは
去らない
人は去っても その人のぬくもりは
去らない
人は去っても 拝む掌の中に 帰ってくる
(中西智海『ひととき─私をささえる言葉』)
この法語に出遇われた女性が一言、「毎日を寂しく暮らしてきたが姿は無くとも決して一人ではなかったんだ」と、少しホッとした表情で語ってくださったとのことです。
最後に住職は、「コロナ下で厳しい社会状況ではありますが、そのような時だからこそ一人でも多くの方が仏縁に出遇ってほしい」という願いと同時に、「自分自身が仏法に育てられる大切な場です」と、暖かい言葉で語ってくださいました。
(九州教区通信員・竹﨑桂一 )
『真宗』2021年12月号「お寺の掲示板」より
ご紹介したお寺:九州教区熊本西組(住職 鷲尾祐行)
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。