大谷派と解放運動
―ハンセン病問題から見えてきたもの―

「真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会」広報部会委員 加藤 久晴

  

■ハンセン病はいま

  2021年5月時点における全国13の国立療養所の入所者数は1001人(平均年齢87.0歳)。現在では1000人を切っている。療養所の将来構想、地域医療の拠点としての再整備が計画されている。「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」(以下、国賠訴訟)熊本判決で国は敗訴、保証金と共に入所者の生活も保証される筈であったが、医療体制は職員・医師ともに定員割れの状態である。「らい予防法」廃止後に療養所に再入所した人は少なくとも313人もいた。家族訴訟では差別や偏見を恐れて名乗り出る家族が少なかった。また、ハンセン病を理由にまともな裁判も開かれずに死刑判決が下され、死刑が執行されたFさんの菊池事件の再審請求を求める動きがある。

 ハンセン病のいまを見渡せば、このような風景が見えてくる。あれから何が変わったのだろうか。

  

■大谷派はいま

 同朋会運動50周年の時、ある集会で講師が「同朋会運動は担当者はいたが当事者が生まれなかったのではないか」と問題提起された。組の同朋の会教導とか育成員研修など役割として担当になった時には一生懸命に活動するが、任期が終わり担当から外れると歩みが止まる。自坊での活動も指定組になった時のみで、それが過ぎれば自然消滅。そんなことが繰り返されてきたのではないか。これは50年が過ぎて同朋会運動は盛り上がりを失ってしまったのではないかという指摘だ。宗祖700回御遠忌の翌年、同朋会運動がスタートした頃は大変な盛り上がりがあったと聞く。私が僧侶になったのは1980年代後半だが、既に同朋会運動は下火になっていたと感じた。現在、同朋会運動が宗門の中で大切なこととして受け止められているだろうか、甚だ疑問である。

  

■ハンセン懇も同じ轍を踏んだ

 私の記憶では、真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会(以下、ハンセン懇)が発足する前は各教区で有志が近くの療養所へ訪問し交流を深めていた。それは宗門としての関わりはなく、手弁当での活動であった。そういう方を中心に、全教区からハンセン懇委員が招集され動き出したこともあり、当初は活発な歩み出しであった。裁判の支援という具体的な関わりがあった。療養所の方も退所者の方も、まだ元気な方が多かったこともあり、一定の盛り上がりが確かにあった。しかし、「いま」大谷派の中でハンセン病問題のかつての盛り上がりはどこへ行ったのか。

 各教区から選出されて委員としてハンセン懇に関わっている間は、確かに一生懸命にハンセン病問題に向き合い、各教区での活動もしてくださったには違いない。しかし、担当を外れた後はどうか。長年活動し各教区で担当した人が「ハンセン病」を自身の課題として受け止めていれば、今とは少し違う風景が見られたのではないか。

  

■国の政策に追従という姿勢

 真宗大谷派が「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」を表明したのは、国が「らい予防法」を廃止した1996年のことである。同年「真宗大谷派ハンセン病問題に関する懇談会」が設置された。「らい予防法」による強制隔離が人権侵害であることは明確であると、問題性は指摘されていたが、宗門は国が法律を廃止するまで何も動くことはなかった。それは、1931年に「らい予防法」が制定されてすぐに設立された「大谷派光明会」の動きと鏡写しだ。「大谷派光明会」は、国の政策である強制隔離を積極的に補完し協力した。隔離政策に疑問を呈していた小笠原登という僧侶であり医師がいたにもかかわらず、国家権力に追従した。そういう姿勢こそ問われなければならない。

  

■宗教者としての関わり

 「大谷派光明会」設立後の1934年、暁烏敏氏が「入園者の行くべき道」という講演を長島愛生園でおこなった。その中で「皆さんが静かにここにおらるることがそのまま沢山の人を助けることになり、国家のためになります。だから皆さんが病気と戦うてそれを超越してゆかれることは、兵隊さんが戦場に働いておるのと変らぬ報国尽忠のつとめを果すことになるのであります。皆さんはどうぞこの積極的な意義に眼覚めて元気よくおくらしになるように念じます」。いわゆる慰問布教である。

 国の隔離政策に対して従順に従わせるために、僧侶という立場を利用した布教だ。これは入園者を目覚めさせる話ではなく、隔離政策に疑問を持つことがないようにするために入園者を眠らせる話だ。諦めさせて現状を受け入れされるための教えだ。宗教の最も危険な部分が現れていると言わざるを得ない。

  

■真の解放の姿

  1998年、星塚敬愛園と菊池恵楓園の入所者13人が、国を相手取り国家賠償請求訴訟を起こした。国の強制隔離は人権侵害であり違法であると。まさに人が目覚めるとはこういうことではないか。慰問布教ではなく、強制隔離という不条理に共に闘おうと伝えなければならなかった。私たちは真の解放を願い続けてきたのか。今までの関わり、歩みを宗門としてではなく、一人ひとりの上で確かめる時が来ている。暁烏氏が言うように「皆さんが静かにここにおらるることが…」と、どんな不条理も受け入れなさいという宗教であれば、それこそ阿片でしかない。

  

■人間を冒涜するか尊敬するか

 「親ガチャ」という言葉がある。2021年流行語大賞にノミネートされた言葉だ。スマホゲームの「ガチャ」から、運次第という意味の言葉である。子どもがどんな親のもとに生まれるのかは運任せであり、家庭環境によって人生を左右される現実を揶揄している。一昔前なら「どんな境遇に生まれたとしても努力次第であり、生まれた境遇のせいにするのは甘えだ」と一蹴された。しかし、現実を見れば努力でなんとかなるような格差ではない。東大生の六割の親の年収は950万円以上など、様々なデータを見れば明らかだ。ハンセン病問題も部落差別も親ガチャも、個人の努力や頑張りでなんとかなるような生やさしい問題ではない。社会の中に厳然としてある、構造的な差別といえる。その厳然とした構造的差別こそ「人間」を冒涜しているのだ。「親ガチャ」という若者からの叫びは、「部落差別問題」「ハンセン病問題」に関わってきた私たちが社会に対して届くメッセージを発することができなかった証しだ。これからも同じような歩みしかできないとすれば、いつまでも「人間を尊敬する」世界は開かれないだろう。

  

  

真宗大谷派宗務所発行『真宗』2022年5月号より