時機相応
(名和 達宣 教学研究所所員)

教学研究所で仕事をするようになってから、まもなく六年を迎えようとしている。この場に身を置き出して以来、ひんぱんに耳にするようになった言葉の一つに「教学的根拠」がある。使う人や状況によって振り幅が感じられるが、その語が用いられる際に求められるのは大抵、ある行為や施策に対する“教義解釈による根拠づけ”である。
 
もちろん、「教学」という営為は、単に聖教の文字を解釈するということに留まってはならない。聖教から聞きひらかれたことが、その身をとおして生活の現場、人と人との間に活きてはたらかねばならないであろう。しかし、「教学的根拠」という語を用いる時、その根っこには、人間の主張や構想を先に立て、それに教義を引き寄せるという姿勢や意向があるのではないだろうか。
 
この言葉に通じるものとして「時代相応の教学」をあげることができる。近年でもしばしば目にすることがあるが、宗門の歴史において特に積極的に用いられたのは、太平洋戦争の時期(一九四〇年代前半)である。当時の宗門は、国家からの圧力を受け、あるいは時代の空気を読み、“戦争の時代に相応する教学”の表現を求めた。それは宗門を護るという目的、その時代における正義を真摯に追求するなかで選び取られた道であったが、結果として、天皇制イデオロギーと融合させた教学表現や聖典削除など、現代の価値観をもっては受け入れがたい(もしくは批判せざるを得ない)足跡がいくつも残されるに至った。
 
現代では、国家の圧力を直接的に受けて教義解釈を改変するということは起こり難い。しかし、この時代における正義、現代的な価値観や善意に基づく主張に教義を対応させようという姿勢は、変わらず存在するのではないか。それは、たとえ明言していなくとも、まぎれもない「時代相応の教学」である。
 
親鸞聖人は「正像末和讃」のなかで、次のようにうたわれている。
 

像法のときの智人も
 自力の諸教をさしおきて
 時機相応の法なれば
 念仏門にぞいりたまう
          (『真宗聖典』五〇三頁)

 

人間が恣意的に、教学を時代社会に対応させようという方向ではなく、念仏の教法自体が、本来的に「時機相応」であるという。
 
人間の立てる正義は、時代ごとに変遷する。それに対して弥陀の本願には、あらゆる時代のあらゆる機根・境遇のものを平等に救うことが誓われている。その道理を、現代を生きる自己の身上において証明すること。それこそが教学の使命ではないか。そこにおいて立ち返るべき・根拠・は、迷える自身の現実よりほかにはないであろう。
 
(『真宗』2022年5月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
 

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