2021年9月14日、15日の2日間、福井県あわら市の吉崎別院において法話伝道研修会「吉崎のお念仏」が行われました。福井教区の有志が発案し、福井教区と大聖寺教区、金沢教区の有志が法話研修に参加し、福井県と石川県のご門徒に聴聞していただきました。以下、2日間の法話研修のメモの一部を紹介します。

開催主旨

2021年は蓮如上人の吉崎御坊建立から550年を迎えます。吉崎建立の願いは聞法道場たる御用を果たすことだと思い、後に続く私どももその伝統に応動しようと、事業の実施を思い立ちました。念仏の行者となることを蓮如上人から呼びかけられている、その課題を「法話伝道」というかたちで各々が確かめる研修にしたいと思います。(実行委員会代表・藤兼衆)

方法

14日は午後1時30分に始まり、午後9時に終了。15日は午前8時30分に始まり、午前11時に終了しました。それぞれ勤行の後に法話を行いました。法話のテーマは蓮如上人に関すること。法話は1席30分、休憩10分で、14日は6人が法話しました。日程終了後に法話者で1時間ほど座談をしました。15日は2人が法話し、その後、法話者同士で座談をしました。

◆◆法話の内容紹介(一部)◆◆

「蓮如上人、蓮如さん、そしてそれから」

志武 勲(吉崎別院列座・大聖寺教区第1組專光寺)

2020年2月より当別院の列座を拝命しました。本日は「蓮如上人、蓮如さん、そしてそれから」とタイトルで法話をさせていただきます。

これまで長く大聖寺教区にいましたから、このたびあらためて、福井では「蓮如さん」という言い方あるんだと思いました。昨日、藤さんが「蓮如さん」と連呼されるのを聞いて、「へえ」と思いました。最近、「蓮如さん」という呼び方がうつってきてしまいました。

この「蓮如上人」から「蓮如さん」に変わるというのはどういうことやろうかと思うわけです。今回、藤さんからこの研修会のアイデアを聞いた時、はっきり言って無理かなと思っていました。そんなに話をする人が集まるかな、と。でも昨日は時間通りに始まり、たくさんの方がお参りしてくださいました。現に御座が開かれた。蓮如上人が蓮如さんに呼び方が変わっていく伝統の一つの現れでなかろうかと思うわけです。

私は若い頃、法主に会いました。といっても見たらあかんと言われて頭を下げていた。「見たらあかん」と言われたら見たくなるんです。私は小学生の時に銀行に見学に行きました。支店長が笑いながら「うしろにある赤いボタンだけは押したらあかんよ」と言うんです。その言葉が頭にぐるぐるして、つい衝動にかられて、押してしまった。その時の音は覚えていますが、その後の記憶はありません。

上人にしても法主にしても、そこにある関係は「答え」。「どうしたらいいんですか」「こうしたらいいんですよ」という答えの世界。それに引き替え、「蓮如さん」と呼びかえる。それは関係性が変わってきた、ということがあったんじゃないでしょうか。それはいわゆる「答え」をもらう関係から、そうではない関係に変わっていった、と。それはどう変わったんだろうか。どういう関係なんだろうか。

親鸞は「それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり」と言います。その『大無量寿経』の主人公は阿難です。その阿難がある日、仏の光に初めて出あうわけです。そして立ち上がって問い尋ねた。翻って言えば、阿難自身は今までずっと何を見てきたか。ずっと仏のそばにいながら、その光に出あわなかった眼、生き様とは何か。そして、仏の光を問うた。そういう深い問いを受けて、それまで仏は「阿難、阿難」と呼んでいたが、「汝」と呼び方を変えます。これは単に阿難だけの問題ではないのだということでしょう。

イダイケは息子に連れ合いを殺され、自身も殺されそうになった。「こんな娑婆、もう嫌や」と言います。それはそうでしょう。清らかな世界を見せてくれ、と。仏は「こんな世界はどう?」とプレゼンをします。皆さん、服を買う時、店員が「これどうですか」と聞かれるでしょう。私、断りにくい質ですが。そこでイダイケは選ぶんです。「これどうですか」と言われても「いや、それは結構です」と言って選んでいって、そして「阿弥陀の浄土に生まれたい」と願うんです。自由の世界、かなう世界、美しい世界はいらん、と。反対に言えば、そういうものに心とらわれ続けてきた、自分自身が問われたわけです。問いが起こるということが、そこにはありました。

仏が「汝」と呼びかけるのは、深い問いが起こった時です。日本語には英語の「you」に該当する言葉はないんや、と聞いたことがあります。「あなた」という言葉があてはまりそうに思いますが、厳密に言えば「you」にあたる言葉はないんだそうです。でも、強いて言うならば「汝」がそれにあたるそうですね。

仏が「汝」と呼びかける、そこにおける関係性というのは、目覚めせしめた者と目覚めた者が平等である、ということです。蓮如上人から蓮如さんに呼び方が変わったのは、蓮如さんに会った者の、問いというものが深まっていったからではないかと思います。ひとつの問いをきっかけに、蓮如さんとの関係を通して、その問いがどんどんどんどん深まっていったんではないか。そういうことが始まったのではないかと思うんです。

私の父親は会社に勤めていました。朝鮮戦争でどんどん会社が大きくなっていた時期でした。父の顔は朝しか見たことなかったです。帰りは夜遅かった。ときどき父は早く帰ってきて、ごはんちゃちゃちゃと食べて、どっかに行ってしまうんですね。子ども心に何しとるんかな、と思いました。「どこ行ってるん?」と聞きました。父親はにやっと笑って「同朋会に行ってるんや」とうれしそうに言いました。「同朋会って何や?」と聞くと「親鸞聖人のはなし、聞くんや」と。「行ってて楽しいか?」と聞いたら「楽しい」と間髪入れずに言った。「何が楽しいんや?」と聞くと「質問できるんや」と言いました。質問ができる人間関係。それを通して生活が深まる。それが広がり続ける、展開し続ける。蓮如上人から蓮如さんと呼び方が変わる。そこに「あなたは聞く人」「私は語る人」ということでなしに、「聞いた者は問いを出し、そしてそれに答えていく、そしてまた問う」。そのような深まりがあったのではないか。語る者は質問ができるような話をせなあかん。聞く者は質問ができるような聞き方をせなあかん。そういう関係の深まりであり、広まりです。そのことを通じて、生きる力をたまわる。人生を創造していく。そういう有り様がそこにあったことを思います。そういう関係性を生き尽くそうと思う方がおられた。それが連綿と今につながっているのではないかと思います。

「仏法の義をば、能く能く人に問え」

藤 兼衆(福井教区第6組福圓寺)

今回の法話のテーマは、「仏法の義をば、能く能く人に問え」です。この言葉に続くのは「仏法だにもあらば、上下をいわずとうべし。仏法は、しりそうもなきものがしるぞ」です。真宗聖典884頁にあります。

私が教えを聞くご縁は、東京の二松学舎大に入学した時のことでした。下宿しないとならないことになり、大野市の東野弘さんから「大谷会館に下宿しろ」と勧められたんです。そこは教学研究所の分室があり、下宿生は「歎異抄を聞く会」の運営を手伝うことが入寮の条件だった。ちょうどそのころ教団問題がありました。いろんな学習会が会館でありました。そこで「おまえらも聞け」と寮生は引っ張り出されました。

ある時、宗正元先生の話は聞いた方がいいぞと先輩から言われました。そこで早速聞きました。その時の宗先生の話は「親鸞聖人が法然上人に会った。それは大事な出会いだったんだよ」という話でした。その時、ふと疑問に思ったことがありました。それに宗先生ってどんな人かなあと思って、試してみたい気持ちもあったんでしょう。質問しました。「出会いが大事とおっしゃいますが、真実の教えを説く人に出会えるかどうかなんてわからないんじゃないか。必ず出会うとは限らないんじゃないか」と聞きました。そうすると「確かにそうや。行ってみんとわからん。だけど、出会うための努力は大事なんじゃないか」と言われました。この言葉はそれからずっと心に残っています。親鸞聖人は82歳の手紙で「おぼつかなきことあらば(略)これへたずねたまうべし」(真宗聖典567頁)と書いています。私に聞きに来いと言っています。しかし善鸞義絶後の85歳の手紙では「目もみえず候う。なにごともみなわすれて候ううえに、ひとなどにあきらかにもうすべき身にもあらず候う。よくよく浄土の学生に、といもうしたまうべし」(真宗聖典605頁)と言っている。私は老いた。よく知っている人に尋ねてくれ、と言った。この違いはなぜ起こってきたのか、と思います。

先だって宗先生が亡くなられました。先生との出会いは、どんな出会いだったかと考えることが増えました。私は次男だったので、将来は国語か古文の先生にでもなるんかなと思っていました。しかし出会いをいただいて住職になりました。東京で2年間、宗先生の話を聞く中で教わったのは、「惜しまず聞けよ」ということだったのかもしれません。

吉崎で蓮如さんが残した手紙の半分以上は、坊さんへの批判でした。教えの受け取りの誤りを問題としているのです。「ひとにあいたずねて、真実の信心をとらんとおもうひとすくなし。これまことにあさましき執心なり」(真宗聖典805頁)と。自分の思いで好き勝手に話していると。でも一方で、「人にたずねよ」とも言いました。私は宗先生に「この人が本当のことを教えているかどうかなんてわからないじゃないか」と尋ねました。また本当に大事なことを言っていても、私がそのことを聞き取れるかどうかなんてわからない。では人に問えとは何か。

「仏法は上下をいわず問え、仏法は知りそうもなきものが知るぞ」。これが大事ではないかと思います。蓮如さんは40歳すぎまで何をしていたか。若い時は親鸞聖人の書物をひたすら書き写し、読んでいた。坊さんが一方的に法を説くのではない。その場に集まった人の心の声を聞く。その場に集まった方が持ってこられた課題が大事なのでしょう。蓮如さんは「念仏して何になる?」という問いに手紙で応えていかれました。意外な人が意外なところで仏法の話をするんだと。「人に問え」というのは自分の中に「問い」をいただけ、ということでしょう。住職ということは、門徒からいただいた課題がある、ということだと思います。「報恩講七昼夜のうちにおいて、各々に改悔の心をおこして、わが身のあやまれるところの心中を、心底にのこさずして、(略)毎日毎夜かたるべし」。真宗聖典820頁にこうあります。要するに坊さんは毎日毎夜、日頃、仏の心にそむいているということを語れよ、と。間違えていたなあということを述べなさい、と。それを聞いた人が「ああ本当やな」と思うんだと。そういうことではないかと思っています。

「信不信、ともに、ただ、物をいえ」

佐々本 尚(福井教区第4組專光寺)

私は、生まれは真宗高田派のお寺です。ですから蓮如のことを学ぶということは、あまりありませんでした。

私は20歳頃、津市の高田派の本山に勤めていました。訓覇信雄さんや池田勇諦さんらの聞法会に行き、そこにいる方から非常に薫陶を受けました。当時を思い起こして、出てきた今日の講題が「信不信、ともに、ただ、物をいえ」(真宗聖典871頁)です。

当時、聞法会の後は必ず酒を飲みながらの仏法談義でした。とっくみあいの言い合いが起きるんです。「それは観念だ!」とかね。そこには「私は聞いた」という自負と、そのことに対する一抹の不安がある。そして「あなたの聞き方はおかしい」が、必ず始まる。それが始まらないのは、聞いていないんだろうと思うんですね。光明体験などがあると、残念ながら差別が始まる。「あいつはまだわかっとらん、正してやらねば」と。自分の思いが救われるというのは、強烈な体験なのだろうと思います。

初めて池田先生に私のことを紹介された時に、池田先生から聞かれたことがありました。それは「何で来たんや?」ということでした。つまり「あなたは何を求めてここに来たんですか?」ということだったんですね。その時私は全く答えられなかった。「仏教を聞きたい」というのも嘘くさいし、自分自身悶々としていた。答える言葉を持ち合わせていなかった。30年近く経つ今も、その言葉が私の中に忘れられない言葉としてあります。最近あらためて大事なんだなあと思います。当時は20歳そこそこでしたから、先輩に食い下がっていろいろと聞きました。いろいろ教わった気がしますが、結局は「何で来たんか?」という言葉にかえっていくような気がします。

現在、私は普段、空調職人をしています。今日伝えたいことは、これは坊さんの業というか、時代の業というか、「間違ってはならない」という風潮があるように思います。今、とっくみあいが起こるような雰囲気を感じ取ることはできません。「あなたはそうですか。私はこうです」と。それは「間違ってはならない」ということがあるからではないか。特に坊さん同士だとなかなか口を開けない。知らないと答えられない。間違ってはならない、と。仏教を聞くことが、カルチャーセンターで学ぶような、足しにする、身につけるようなものになっていく気がします。「私は○先生の話を聞いて救われた、私は○先生の話を聞いて幸せです」と喜ばねばならないような、問題が解決していくような聞き方が広がっているように感じます。

「○先生の言葉が人生を支えています」というが、私が思う師の言葉は、『末燈鈔』に「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」(真宗聖典603頁)とあるようなものです。学生沙汰ばかりしている。「ここはこういう意味でいいでしょうか?」とかね。それを「さかさかしき」と言うのではないか。親鸞は35歳までに聞いたことを50年近く経って思い返しています。そういう出あい方を、「師に出あう」と言うのではないでしょうか。すっきりした、救われた、ではなくて。一生を貫くような問いとして「あの言葉が忘れられない」と。「これは文沙汰ではないか」というかたちで、親鸞には法然の言葉が響いたのでしょう。壁にあたると、その原因をさぐって、どうやって克服していけるか、その発想が血肉化していると思います。コロナならワクチン、バブル経済なら消費、と。死もそうです。どうやったら死の問題を受け入れられるのだろう、と。すべてが克服する方向です。必ず答えを求めて聴聞する。そして答えを見出した人は「あの人の聞き方はおかしい」となっていく。間違いを正してやらねば、と。

やはり親鸞の言葉にかえっていくしかないのではないかと思います。『末燈鈔』では「いまにいたるまでおもいあわせ」(真宗聖典603頁)と言います。『歎異抄』では「総じてもって存知せざるなり」(真宗聖典627頁)頁)「念仏のみぞまことにておわします」(真宗聖典641頁)と言います。人の口をふさごうとする論争とか、私は聞いた、あのひとは聞いてない、とか、そういうことではないのではないでしょうか。「心得たと思うは、心得ぬなり」(真宗聖典894頁)ともあります。そういうものを現代人は抱えています。

「愚者になりて往生す」というところに、私は厳粛なものを感じます。「私は聞いた」という信仰告白が薄っぺらなものに聞こえます。信心をごまかすために聖教の言葉を利用しているように聞こえます。生き様、姿勢というものは、直せる範囲と直せない範囲があります。気をつけて直せることは大したことではない。何か血肉化したものを抱えている。そういうものを誰しもが抱えているということが、『歎異抄』が問いかけていることではないかと思っています。


-次回案内-

2022年も同様の法話伝道研修会の開催を予定しています。9月18日(日)と19日(月)です。聴講のみの参加も歓迎です。聴講は申込み不要の自由参加です。聴講料はかかりません。

18日は午後1時50分に開講。午後6時から1時間夕食休憩を挟んで、午後7時から7時30分まで法話。その後は2時間程度の座談を予定しています。19日は午前8時30分から勤行が始まり、9時から法話です。正午頃に終了予定です。

法話研修参加の連絡は実行委員代表の藤兼衆まで(090-8701-9842)

Mail:fukuenji@mx4.fctv.ne.jp


(福井教区通信員 藤共生)