嬉しさを
二倍にできる
半分こ
「草刈って 牛ほどの岩現れる」
一見しただけでは意味が中々読み取れず、思わず足を止めてしまうような言葉が教西寺の山門前の掲示板には貼られている。
「あれはわざとなんです。通りがかった人にこれはどういう意味なんだろう、と少し立ち止まって考えていただける言葉を選ぶことを心がけています。ひと目見てすぐに意味が分かり、心がほっこりするような言葉も掲示板には書きますが、一方で意味が分かりづらく、読み手が問われてくる言葉も書くようにしています」。和やかな表情で住職の楳山正樹さんはそう語る。「すると、お寺に来てくださった方々が、今月の掲示板の言葉はどういう意味ですか? と尋ねてくださることがあるんです。私があなたはどういう意味だと思われますか? と伺うとそれぞれの受けとめ方を聞かせてくださる。もちろんそこで正解・不正解を判定するということはありません。大切なのは言葉の意味を考えるということであり、それがお寺と、お寺を訪れてくださった方とのコミュニケーションの大切なきっかけになると考えています」。
そう語る楳山さんの言葉は、掲示板を通して「教える」のでなく「つながる」ことを実現させたいという願いに満ちている。
また教西寺の掲示板の前には、毎週水曜日に「とくし丸」という移動スーパーが訪れ、食品や日用品の販売をしている。車を持たない地域の高齢者の方々にとって、とくし丸はただの移動販売車ではなく、住民同士の憩いの場、またお互いの安否確認の場にもなっているそうだ。
掲示板の前にとくし丸を誘致した、教西寺の総代をつとめる家田鐵彦さんは、「私は地域の中心はお寺であって欲しいと思っています。だからとくし丸を招く場所も「教西寺前」ではなく「教西寺の掲示板前」としました。買い物に来た人がついでに掲示板を見て、少しでもお寺に関心を持って欲しい。食べ物を買い、言葉にふれて、皆と話して、手を合わせる。これが私の元気の源でもあるんです」と生き生きと語る。家田さんの言葉は、寺という場所が風景の一部となりつつある時代に、「生きてはたらく場所」として地域とつながっていく新たな可能性を示している。
伝道掲示板のもつ役割について、住職の楳山さんはこう語る。「お寺の中に入ってお話を聞いてくださる方々はもちろんありがたいですが、そこまで思いが至らないという方々も当然たくさんいらっしゃいます。でも誰もがどこかで言葉とのであいを待っていると思います。たとえ掲示板を見て立ち止まってくれる人が月に一人だけだとしても、言葉とのであい、教えとのであいを待っている人がいる、という気持ちを大切にして掲示板を書かせていただきたいと思っています」。
待つ、という字には「寺」が入っている。言葉とのであいを待つ人、人とのつながりを待つ人、様々な人の願いが教西寺の掲示板には託されている。
(名古屋教区通信員・荒山 優)
『真宗』2022年8月号「お寺の掲示板」より
ご紹介したお寺:名古屋教区第九組教西寺(住職 楳山正樹)※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しています。