御影堂を支える円形の柱は、直径約80センチもあります。これらの柱に使われた巨木は、全国の門徒により切り出され、寄進されたものです。
木材は1889(明治22)年5月までに176,000本集まり、全国30カ所近くの港に設けられた木揚場に集められ、鉄道や海運などで再建の現場に運ばれました。
その中でも、御影堂の参詣席正面の大虹梁と呼ばれる部分に使う約15メートルの木材はなかなか見つかりませんでした。そこで、新潟県阿賀野川川底に沈んでいるという先人たちの言い伝えのもと捜索を行い、川底に沈んでいた約1660年前の木材を曳き上げて使用しました。
再建の現場は、現在のような鉄筋や電動の道具がない時代です。足場は木材と筵で作られ、木の切り出しや運搬、木材の加工はすべて人の手で行われました。御影堂の柱などに使用された欅は巨木になる樹種ですが、大変堅く加工しづらいことでも有名です。それを鋸や釿、鉋で一本一本手作業で柱や板などに加工しました。
再建に関わられた方々の心意気は、御影堂の広縁に使われた板にも見られます。参詣の人々には見えない裏面の穴一つ、節目一つにも埋め木が施され、丁寧な仕事をされてたことがわかります。
御影堂の再建には、全国から大工や左官、瓦などの職人が、のべ約1,157,000人も集まり作業にあたったといわれています。人々は、昼間は作業にあたり、夜には法話を聞き、ご門徒が地方ごとに建てた詰所に宿泊するという生活を送りました。
御影堂の手作業でなめらかに仕上げられた大きな柱には、再建にかける先人たちの願いが込められています。