棟方志功は当初は光德寺のある法林寺に住みましたが、翌1946(昭和21)年、福光の町中で、のちに「愛染苑」と名付けられた家を建築しました。
信心深い祖母の影響もあり、幼い頃から仏教に親しんでいた棟方は、福光で毎日のようにお寺に通い地元の人たちと一緒に念仏をとなえ、ここで生活する人たちと交流していたといわれています。そして、富山の人びとが蓮如上人の教えにもとづいた生活を何十世代も受け継ぎ、数百年にわたり営んできた堆積が土や空気に染み込んでいるのを肌身で感じ、真宗の「土徳」の奥深さにふれることになりました。
そして、福光での暮らしが棟方の作品を変化させます。棟方を見出し、師とも呼べる存在であった柳宗悦が福光の棟方を訪ねた時、その作品を見て「我が消えた」と驚いたそうです。福光での棟方は、光德寺や城端別院をはじめ近隣のお寺にお参りしており、そこで法話を聞くうちに自然とそうなったといわれています。