法語に込めた思い

この言葉は、チベット仏教の言葉といわれています。教えを聞く準備ができていない時、つまり自分の力だけで「まだまだできる」と思い込んでいる時は、いくら師が現れても素通りしてしまいま
す。生きていれば、夢が破れたり心が砕けることがあるけれども、そのような時こそ、確かなもの、人生の師と呼べるものに出遇うチャンスであるという意味でこの言葉を選びました。

掲示板に込めた思い

存明寺の境内には3カ所に掲示板が設置されており、それぞれテーマがある。本堂前は釈尊や親鸞聖人の言葉、お寺の入り口は行事案内と併せてどのようなお寺であるかを示す言葉、お寺の角は通勤通学でお寺に面した道を通る方に向けた短い言葉を掲示している。
掲示板の言葉を書いている酒井住職は、本や『同朋新聞』、他のお寺の寺報などを読んで印象に残った言葉を記録しておき、家族に相談して掲示する言葉を決めているそうである。
掲示板の言葉を見て励まされて、お寺の聞法会に来るようになった方がいたり、SNSに投稿した掲示板の言葉について、「読んで励まされた」など感想が寄せられているという。「仏教や浄土真宗の教えは言葉になって、その言葉は必ず人に伝わることを信じています。そのために、自分が聞いて大事にしたいと思う言葉を伝えていきたいです」と、酒井住職は話す。
掲示板だけでなく、本堂の中や玄関など境内の至る所に法語が掲示されていた。教えの言葉を大事に
する酒井住職の人柄が感じられた。


お寺の全景

(東京教区通信員 平松 正宣)


『同朋新聞』 2024年5月号「お寺の掲示板」より

ご紹介したお寺:東京教区 東京5組 存明寺(住職 酒井 義一)
※役職等は『同朋新聞』掲載時のまま記載しています。