法語に込めた思い

宗祖親鸞聖人は師、法然上人に出遇われた喜びを「雑行を棄てて本願に帰す」と『教行信証』に書かれました。私自身は50歳で、住職になり7年目ですが、お念仏を称えながらも自分の思いにとらわれて過ごす日々です。仏の御心(本願)をいただくことができていない我が身に気づかされ、この法語を書かせていただきました。

掲示板に込めた思い

旧東海道近くにある玉川山浄泉寺。もとは、野路城の一角に「十禅念仏道場」として建立されたのが始まりだという。
お寺の掲示板は30年ほど前に前住職によって山門横に作られた。今は前住職や住職の考えた法語を、幼少期から書道を習っている長女が揮毫し、3世代で取り組んでいる。今回は、親鸞聖人の言葉をご自身の身に引き当てて、住職の了見さんが考えられた言葉をご紹介いただいた。

「お参りさせていただくお家の方だけではなく、いろいろな方に言葉に出遇っていただきたい」と語る了見さん。また「お寺にはご門徒さんだけでなく、散策でお寺に立ち寄る人もいらっしゃいます。その方々にも寺報を手に取ってもらえるように袋に入れ、掲示板の下に提げています。法語と寺報をいつも楽しみにされている方もいらっしゃるんです」とも語られた。
世代を超えて作られている浄泉寺の伝道掲示板は、家族の歴史と結束を次の世代に受け継ぎながら、人々に教えを届けているのだと感じた。


(京都教区通信員 治田 保男)


『同朋新聞』 2024年月7号「お寺の掲示板」より

ご紹介したお寺:京都教区 近江第2組 浄泉寺(住職 黒川 了見)
※役職等は『同朋新聞』掲載時のまま記載しています。