小笠原登資料展示室を開くにあたって
名古屋教区圓周寺住職 小笠原 英司
この度、「吐鳳資料展示室」という名で、小笠原登資料展示室を圓周寺につくることができました。ここに至るには、いろいろなことがありました。130年程前に建てられた御仮堂を壊し、新たに門徒会館として4年程前に建て替え、その二階に藏座江美さん(ヒューマンライツふくおか)の協力もあり、資料展示室ができたのです。
以前から、蔵や御仮堂、庫裡から小笠原登関係の貴重な資料が見つかり、戦前戦後の日記や少年時代に描いた絵画、「圓周寺内光照堂縁起」、「家伝癩病妙薬」、「薬袋の版木」、愛用の真宗聖典等々が次々と出てきました。中には38メートルに及ぶ横長の風景を描いた水墨画もありました。それにより、小笠原登の祖父啓實の出身地やハンセン病との関わり、また登の母親が愛知県一宮市の医者の娘で、薬剤師として光照堂という薬局を開き薬を処方し販売していたことなどがはっきりと分かってきました。
これらを2019年12月から翌年2月まで、真宗本廟にて行われた「ハンセン病と真宗 小笠原登の事績を訪ねて」(人権週間ギャラリー展)で展示していただきました。また、同年12月12日(登の祥月命日)に五十回忌法要(吐鳳忌)を名古屋別院対面所において教区教化委員会主催で勤めることができました。本来であれば圓周寺で行うのですが、本堂を修復中であったため、別院を会場に皆さんのご協力により行うことができました。その時に作成した展示パネルを今回修整して資料展示室に展示しました。
真宗会館「和光堂」の閉館
国立療養所多磨全生園内にある「和光堂」は、浄土真宗の聞法道場として1965年に開設され、真宗報恩会の名のもと、熱心に入所者の方々や東京教区の方々が毎月行事を行っていました。その中の一人の入所者の方は、十代の頃、京都大学病院において小笠原登に診察を受けた方であり、吐鳳忌に東京教区の酒井義一氏(東京教区存明寺)と共に講演をしていただきました。
入所者の数が減り皆さんが高齢になられたことから、2023年に真宗報恩会を閉じられて、「和光堂」は閉館されることになりました。その際、小笠原登のためにと圓周寺に寄付をいただき、資料展示室をぜひ作りたいという思いを強くしました。
親鸞さまはなつかしい
吐鳳忌の時に、その入所者の方が歌われた「親鸞さまはなつかしい」という真宗報恩会に伝わる賛歌が忘れられません。
一 風もないのに ほろほろと
大地のうえに 帰りゆく
花をみつめて 涙した
親鸞さまは なつかしい
二 夜半のあらしに 花はちる
人も無常の 風にちる
はかない浮世に 涙した
親鸞さまは なつかしい
三 とうさまかあさま 失のうて
ひとり流転の さびしさに
こころのみ親を さがします
親鸞さまは なつかしい
全部で七番までありますので割愛します。
また他にも、邑久光明園の竹村貴美子さんと亡くなられた春日和子さん、また駿河療養所の井上茂次さんなど、小笠原登に診察を受けた方々のお話を聞くことができましたが、いずれも先生に診てもらってよかったと言っておられました。私はその方々の思いも受けとめて継承していきたいと思います。
ハンセン病「差別ある」4割
「差別している自覚に立つ そこに平等が始まる」
今、圓周寺門前の掲示板にこの言葉が掲げられています。私たちは、差別しているという自覚をもたなければいけません。今年四月五日の『中日新聞』に、「ハンセン病「差別ある」4割」という見出しの記事が掲載されました。厚生労働省が初めて全国意識調査を実施し、元患者と家族に対する差別や偏見が「現在、世の中にあると思う」と回答した人が39.6%だったことがわかり、国の人権教育と啓発が住民にほとんど届いていないことが差別根絶を阻んでいる可能性があり、「改善に向け早急な検証が必要だ」と指摘されていました。
1996年に「らい予防法」が廃止され、大谷派は謝罪声明を出しました。2001年に、違憲国家賠償請求訴訟に原告が勝利し、2019年にはいわゆる家族訴訟にも原告は勝訴しました。しかし、訴訟を起こした家族も未だに名告れないのが現実です。差別を受けるからです。「もうハンセン病は終わった。いつまでやっているのか」という声を耳にしますが、終わっていないのです。実際私たちは、新型コロナウイルス感染症が流行した時に、同じことを経験しました。病気よりも世間の目がこわいという声を聞きました。なぜ病気になっただけで非難され差別されなければいけないのか。なぜ生涯隔離され、本名を名告れず、子どもを産むことも許されないのか。どう考えてもおかしいと思います。日本ではハンセン病隔離政策が国策として約90年の長きに及んだのです。
浄土を見失った現代人
小笠原登は浄土を真実とする親鸞聖人の教えを深く学び、仏教の教えを生き方の中心にしています。しかし、私たちは浄土を見失ったのでしょう。隔離することが救いになることはありません。また、人のいのちに優劣をつけたのです。差別している自覚に立たなければ、平等にはなれません。すべてのいのちは平等であることが仏教の基本です。ハンセン病患者を劣った人間であると考え、社会から排除して良いはずはありません。そのことを小笠原登は厳しく見つめていったと思います。
現在も、世界中において戦争や差別、飢餓が絶えません。私たちは、このハンセン病問題から、時代に流されることなく、周りの人々に流されることなく、物事の真実を見ていかなければいけません。そして、「どう生きていけば良いのか」「何のために生まれてきたのか」という生まれた意義と生きる喜びを考えていかなければいけません。この資料展示室が、それを考えることの一助になることを期待しています。
*1891(明治24)年10月28日、濃尾地震にて本堂が倒壊したため、仮に建てた本堂を「御仮堂」と呼んでいた。
真宗大谷派宗務所発行『真宗』2024年7月号より