()(ほう)()をお勤めする意義

名古屋教区圓周寺住職 小笠原 英司

  

はじめに

吐鳳忌(2019)の様子

 名古屋教区では、2012年より「不安に立つ─ありのままの自分に目覚め いのちの願いに生きる─」という教化テーマのもと、尾張が生んだ三師(清沢満之、髙木顕明、小笠原登)について取り上げてきました。その中で、特に小笠原登については、それまで教区内でしっかりと着目してきていませんでしたので、この機に学びを深めていきました。その結果、2016年に、教区・別院宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要で、東別院会館において「時代に抗った念仏者─一人を見失わない─」という三師の生き方をテーマに展示を行い、そのことが、2019年の吐鳳忌(小笠原登五十回忌法要)を勤修することにつながりました。小笠原登の志願を受けとめ、その生き方を胸に刻み、共々に自身の生きる姿勢を確かめる法要となりました。 

  

「吐鳳」の意味

 「吐鳳院釋登願」は、小笠原登が自ら名告った法名でした。「吐鳳」、(おおとり)を吐くとは、「中国の文人がなかなか文章が書けなくて困っていたら、明け方に口から鳳が飛び立つ夢を見た。そうしたら翌朝文章がすらすらと書けた」という故事に由来するようです。書もたしなむ小笠原登が、自ら付けたのです。

 『史記』に「嗟呼()(えん)(じゃく)(いずく)んぞ(こう)(こく)の志を知らんや」という一節があります。鴻鵠とは大型の鳥のことで、鳳も含まれると考えれば、「ああ燕や雀のような小さな鳥にどうして鳳の(こころざし)などわかろうか、わかるはずがない」という意味になります。それゆえ「他人の言うことなど気にすることはない」「自分の信念に従えばよい」という意味でも使われる一節です。

 ハンセン病隔離政策をめぐって、当時の医学界から異端視された小笠原登でしたが、鳳の飛び立つ姿を夢に見た文人に自らをなぞらえ、「今は理解されなくとも、いつかわかってもらえる時が来る」という思いをその法名に込めたものではないかと思います。実際、「らい予防法」に違憲判決が出て、当時の小泉純一郎首相がハンセン病隔離政策のあやまちを認め、謝罪声明を出したのは、小笠原登の死後31年が経った2001年のことでした。

  

()()の国

 小笠原登が書き残したものの中に、「烏滸の国」という文章があります。烏滸とは、「ばかげたこと、愚かなこと」という意味で、中国の後漢時代に語源があるとされ、「昔善を悪とし悪を善とする国があった。これを烏滸の国と名付けたと聞いて居る」と、日本のハンセン病隔離政策を「烏滸の国」に喩えています。

 この文章には、「結核と((原文ママ))(ハンセン病)との病原菌は形態的に酷似して居て共に殆どあらゆる組織を侵す点も(また)類似して居る。しかし前者が主として生活に主要な器官を侵すに対して後者は皮膚と神経幹とを好んで侵す」とあります。当時ハンセン病患者は2万人足らずでしたが、結核は一年間の死者が12万人に達していたといいます。日本ではこの事実を知りながら、ハンセン病を激しい伝染病であり、不治の病であると考えました。そのことがハンセン病治療を困難にし、患者に著しい被害をあたえたのです。小笠原登は、自身のハンセン病の研究と診療の実績から、「烏滸の国」と喩えた国策と真っ向から対立しました。

  

一人になる

 2年の年月をかけて小笠原登の映画が制作され、3年前の2021年に完成しました。圓周寺でハンセン病患者を診察した部屋を壊すことになったところ、「貴重なものだから映像に残そう」と大阪教区の小松裕子さんが声を上げられ、それが映画制作へと発展し、七名で実行委員会を立ち上げました。一年間毎月、本山に集まり、映画監督、プロデューサー、カメラマンなどと一緒に話し合いを重ねました。映画制作の最後には、新型コロナウイルス感染症が流行し、療養所などへ行けなくなりましたが、それまでに撮影したものを編集し完成しました。

 そのタイトルは、『一人になる』です。これは、以前から山陽教区の玉光順正さんが話しておられる言葉です。最初私はその意味がよく分かりませんでしたが、これは仏教の教えに通じるものだと理解できるようになりました。釈尊は誕生して七歩あゆみ、天と地を指さし、「天上天下唯我独尊」と言われました。また、涅槃に入られる前の最後の言葉として、「自灯明、法灯明。人生は短く移ろいやすいから、怠ることなく精進せよ。犀の角のようにただ一人歩め」と言われました。つまり、この世の中に私は一人のみであり、他に代わることのできない存在です。一人で生まれ一人でいのち終えていくのですが、誰にもいのち、人生を奪われることがあってはいけません。独立して人生を送り、ご縁ある人たちと共に生きていくということが大切なことです。その中で、一番大切な両親、家族、故郷、子孫と切り離して生きることを強いてきた事実を考えると、差別、偏見がいかに人権侵害をしているかということを思います。

  「病む人に 仏智不思議を 語らいてまずわが身より 涙覚ゆる」(小笠原登)

 この短歌を詠んだ小笠原登は、宗祖が顕らかにされた浄土を、一人ひとりが仏の光に照らされて輝き、共に生き合う世界であると確かめていかれたのだと思います。

  

おわりに

 私たちは、吐鳳忌をお勤めすることにより、小笠原登が大切にしてきたことを忘れないようにしなければいけません。私たちの周りには、ハンセン病問題のみならず、福島の原発事故による放射能汚染に関する差別、新型コロナウイルス感染症にまつわる差別など、様々な差別問題があります。また、世界でも人種、民族、宗教などによる戦争、差別、貧困など、多くの社会問題があります。そうした人間の本質にある差別心に向き合い、本願念仏の教えにより自己の生き方を問い直す場にしていきたいと思います。 

  

※本稿では、「癩」の言葉を用いている箇所がありますが、当時の様子を忠実に伝えるため、歴史資料上の語として原文のまま使用しました。

  

真宗大谷派宗務所発行『真宗』2024年8月号より