「一度聴きに来られてはいかがですか?」取材依頼の電話をした際、住職から掛けられた言葉であった。
この日、稱名寺では地元坊守会主催による「みんなのつどい」が行われていた。会には女性が多く、本堂はすぐにいっぱいになった。すでにマイクや電子ピアノも設置されており、コンサート会場のような雰囲気で、私の心はワクワクしていた。
住職は、「グループ阿難」の代表でオカリナを演奏されている。
会は「正信偈」のお勤め、住職の法話の後、住職の従姉である上野一栄氏(高田十三組惠光寺坊守)のピアノ伴奏に合わせたオカリナの演奏と詩や絵本の口演が行われた。本堂に響くオカリナの音色、語りと伴奏の調和が心地良く、場が一体となっているのを感じた。二時間三十分があっという間だった。
住職のオカリナとの出会い・活動の原点は二十才の頃にまでさかのぼる。大学時代に幼い頃から慕っていた祖父が亡くなった。卒業後お寺を継ぐことがさし迫る中、祖父の死によって自身がどのように継いでいくのかということが、より具体的な課題となった。
大学卒業後、上越でのお寺を拠点とした生活を始めていくが、社会から取り残されるような焦燥感を覚えていたという。また、南無阿弥陀仏の教えに頷けない自分がご門徒さんに念仏をすすめられるのか。日々悶々とした生活を送っていたと語られる。
そんな生活の中でも「自分自身生き生きと生きたい!」との思いが原点にあった。ただ、どうやって形にしていこうかと考えていた二十代半ば、本山の「児童夏の集い」にスタッフとして参加する。扉を締め切った御影堂の薄暗い中、近藤章氏(九州教区長崎組西心寺前住職)による『蜘蛛の糸』の一人語りを演じる姿に大きな衝撃が走り、自分もこのように表現してみたいとの憧れを持った。時を同じく地元上越で林洋子さん主催の「クラムボンの会」によるアイリッシュハープの音にのせた宮沢賢治の童話『やまなし』に出会った。音楽と詩を重ねる表現方法に感銘を受ける。
そんな二つの出来事があった中、偶然に水上勉氏の童話『ブンナよ、木から降りてこい』(新潮文庫)という作品に出会うことで住職の歩みが始まる。直感的に毎年春に勤めている自坊の報恩講前日の夜、子どもたちと家族の前で上演を決断する。切り絵を幻灯機で映し、オカリナを効果音として使う手法はここから生み出された。
「お寺は窮屈な面もあるが、本堂は単なる箱物ではなく、長年手を合わせ教えを聞く場として護持されてきた歴史がある。だから、その場で表現する者を温かく包んでくれる優しさが具わった場であると感じている。結局、三十七年間の活動は、自分自身の居場所を探す時間であったのではないか」と話されていた。
(新潟教区通信員・二所宮岳)
『真宗』2024年8月号「今月のお寺」より
ご紹介したお寺:新潟教区第8組稱名寺(住職 保倉謙雄)※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しております。