法語に込めた思い

      

        

 「時代は問い、親鸞は答える。その問いに身を置き、答えに耳を傾ける。そこに真宗人の道がある」と語られ、宗祖聖人の〝聞思の道〞に御一生を尽くされた金子大榮先生の言葉です。人は人から教わることはあっても、人が人を教えることなどできない。自身を静かに立ちどまらせてくれる「法」の声としていただいています。

金子大榮

掲示板に込めた思い

 市の中心部から少し離れた住宅地の中にある正聞寺。掲示板は住職の小田朋隆さんが月1回のペースで用意されている。小田住職は九州大谷短期大学で講師をされていて、授業でも法語をよく紹介するそうだ。またお寺の訪問者用に法語のポストカードも自作されていた。「今の時代、中身はもちろんですけど、その短さという点に法語の良さがありますね」と語られる小田住職は、言葉をとても大切にされている印象だった。
 「人間は言葉に救われるのです。けれど言葉がわかって救わ
れるのではない。われわれが救われる言葉に出遇うということです」。師とあおぐ安田理深先生の語りを紹介されつつ、小田住職は法語を選ぶ際の留意点を二つあげられた。「押しつけ」になっていないか、「上から目線」ではないか。そうした点も坊守の恵美子さんに感想を求めて書くという。

 取材時に見せていただいた小田住職の本には、色とりどりの無数の付箋が貼られ、それはまるで言葉の宝石箱のようだった。

(九州教区通信員 本田 智子)


『同朋新聞』2024年9月号「お寺の掲示板」より

ご紹介したお寺:九州教区 福岡組 正聞寺(住職 小田 朋隆)

※役職等は『同朋新聞』掲載時のまま記載しています。