法語に込めた思い

 お寺に足を運んだ際、お墓参りはされても、本堂のご本尊へのお参りはついでになっていませんか?昨今、墓じまいや仏壇じまいが増えてきました。

 その時になってふと考えます。ご本尊とは何だったのでしょうか?
 私たちはどこに掌を合わせているのでしょうか?法語に触れて一緒に考えていける
ご縁になればと思いこの言葉を選びました。

掲示板に込めた思い

 法善寺の掲示板は多くの方の目にとまるように、駐車場に面し、すぐ脇の道路からも見えやすいように設置されている。「掲示板を見た方が、法語に触れご自身にも目を向けるきっかけになればうれしい。また、本堂までお参りに来るご縁となってほしい」と住職の須藤慧成さんは語る。住職に就任して最初に取り組みたいと思い立ち、4年前から法語を書いている。 日頃の自分の生活と照らし合わせながら、何かを教えるというより、自分自身で考えるきっかけとなるような法語を選定しているという須藤さん。ふとした時に響いてくるような言葉選びを大事にしているという。法語の感想を頂くこともあり、「私も勉強になり、一緒に感動させてもらっています」と話す須藤さんからは謙虚さが伝わる。
 法善寺の近隣は過疎化が進み、市街地や遠方に住むご門徒も増える中、「お寺に足を運ぶことが少なくなっても、門徒であることに変わりはないのではないか。時代が移り変わっても人に寄り添えるような場所でありたい」と寺報やSNS等も利用しお寺から発信し続ける姿からは、思いを伝え継続していく
ことの大切さを感じた。

(東北教区通信員 佐々木 智悠)


『同朋新聞』2024年12月号「お寺の掲示板」より

ご紹介したお寺:東北教区 山形第5組 法善寺(住職 須藤 慧成)

※役職等は『同朋新聞』掲載時のまま記載しています。