新潟教区法泉寺 虎石 薫
「あっちに往っても、こっちに居ても、みんな居るから安心して!」
父が息を引き取る五日ほど前、入院先から「家に帰りたい」と繰り返される懇願に耐えかねて、つい口喧嘩になりました。冒頭の言葉はその時、私が言った言葉です。
がんの合併症により、論理立てた会話をすることができなくなり、家族が常に手の届くところに居ても不安を訴える父。それを見ているのが切なくて辛くて現実から目を逸らしたいがために発したものの、父にというよりも自分が安心したかったから出た言葉のような気もします。
病気を治す方法も、悪化を遅らせる薬も無くなり、それらを主治医から宣告されてきた父は、何を思って毎日を過ごしてきたのだろうか・・・。父の気持ちに寄り添うとか想いを分かち合うとか、そういうことが全くできないことを、そして、法話で聴聞した「間に合わない」ことの多さを、私はその時、あらためて実感しました。その後、父の葬儀を執り行ったのは秋彼岸の中日でした。
「人は亡くなったら、どこへ行くの・・・?」。お空、お星さま、あの世、天国、風になると言った方もいたでしょうか。葬儀社に就職して、湯灌と納棺に携わった私は、ご遺族の問答を耳にしてきました。私は「どこでしょうね・・・」とあいまいにしながら、「浄土とは、どこで、どんなところなのか」を考えることが多くなりました。
ある日、「おじいちゃん。お父さんもお母さんも先に往って待ってるからね。私はまだこっちに居るけれども、必ず往くから見守っていてね」と老婦人が花を手向けながら夫に優しく告げ、お孫さんと一緒に合掌して「なまんだぶ、なまんだぶ」とおっしゃっいました。私は「あっちに往っても、こっちに居ても、私のぐるりに、みんな居る。そういうところに、今、私は生きているのか」と合点がいったことがありました。
故人を弔い偲ぶ現場で交わされるやり取りから、さまざまな問いが自ずと生じ、何と表現して答えようかを考え、何を拠りどころとして考えるのかを確かめる機会を常にいただいています。父なら何と答えたか、聞いてみたかったと今でも思います。
現在、父から引き継いで月参りに出かけています。御本尊の真向かいに身を置くと、父の代役で伺った時には感じなかった感覚がありました。「ああ、ここで、父が、そして祖父も、お内仏にお参りしてきたんだ」。ご家族とともに勤行し、語り合い弔い偲んできた代々の関係を深く感じました。
父は、私の問いへ肉声で答えない代わりに、私のぐるりから聞こえる「南無阿弥陀仏」の声となって、私が出会う人々とともに、とても近くにいるような気がしています。
東本願寺出版発行『お彼岸』(2021年春版)より
『お彼岸』は、毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『お彼岸』(2021年春版)所収の随想の一つをそのまま記載しています。