法語に込めた思い
10年ほど前に、京都で地図を眺める観光客の姿から思いついた言葉です。
私たちは豊かな生活の中で、自身の居場所を見失い迷子になっているのではないでしょうか。居場所が明らかになれば自ずと方向が定まる。私は今、どこにいるのか。そのことを気づかせてくれるのが仏教なのではないでしょうか。
掲示板に込めた思い

法語を目にして、なるほどとうなずくよりも、ハッとさせられ我が身を振り返ったり、どういうことなのかわからないと疑問に持ち続けたり、読んだ人の「問い」になってほしいという思いを持っておられる梅溪住職。
掲示板は、道行く人が目にする言葉。西念寺がある地域は他宗の方々が多いことから、誰にでも届くような言葉を選ぶようにしているという。 法語を目にした人からは、「ドキリとさせられる」「考えさせられる」と言われたこともあるそうで、お隣の寺の住職からは「西念寺さんの法語は響くことが書いてある。掲示伝道活動を長年しっかりされている」との言葉も聞かれた。
住職は、40年以上前に、掲示伝道を始めた頃から、日々の中で気になった言葉や、思いついた言葉をノートに書き溜め続けており、掲示した法語は、あらためて別のノートに、年月順に毎月記録している。
これらのノートや住職の思い、周りの声を大切に受けとる姿から、その活動は、きっと道行く人の心に響いているだろうと感じた。
(岐阜高山教区通信員・河合 文)
『同朋新聞』2025年8月号「お寺の掲示板」より
ご紹介したお寺:岐阜高山教区 第16組 西念寺(住職:梅溪 得文)
※役職等は『同朋新聞』掲載時のまま記載しています。





























