一騎当千
(青柳 英司 教学研究所研究員)
私の娘が通っていた小学校では、十月は運動会のシーズンで、特に六年生による騎馬戦が名物になっていた。
私が子どもの頃は、騎馬戦というと男子の競技というイメージだったが、娘の小学校の騎馬戦には女子の部もあった。むしろ、男子よりも女子の部の方が白熱する年も多かった。
その中で、(娘が参加した年ではないのだが)ひときわ印象に残った一戦がある。
騎馬戦というと「一定時間、帽子の取り合いをした後に、残っている騎馬の数が多い方が勝ち」というルールが一般的だろう。しかし、この学校の騎馬戦には大将となる騎馬がおり、味方が何騎残っていようと、先に大将の帽子を取られた方が負け、という少し変わったルールになっていた。
そのため、赤組も白組も自陣の一番奥に大将を配置し、さらにその周囲を数騎の親衛隊が固めるという布陣を採っていた。
「序盤は、それ以外の騎馬の戦いになるのだが、この年の白組には明確な作戦があった。赤組の騎馬は、漫然と進んでくるだけなのだが、白組の騎馬は、二騎がペアになっている。相手一騎に対し、できるだけ二騎で戦うという意識が見えた。
この戦法は、非常に有効だった。白組が、次第に数の優位を築いていく。ついには、赤組の本陣にも手が掛かる。これはさすがに、白組の勝ちか。私は、そう思っていた。
しかし、赤組の親衛隊の中に一騎、とんでもない猛将がいたのである。この一騎の活躍には、目を見張るものがあった。白組の騎馬が、次々に帽子を取られていく。二騎で挑んでも、二騎とも返り討ちにされる。白組は序盤に築いた優勢を、瞬く間に失っていった。
チームとしての作戦が、個人の武勇にひっくり返されるのか。そう思わずにはおれなかった。
結局、この試合は、白組の敗北で幕を閉じる。白組の大将は、ぼろぼろと泣いていた。
この体験を、白組の子たちは、どのように受け止めるのだろうか。事前に作戦を練り、頑張って準備をしても、やっぱり無駄だったのだと思いはしないだろうか。
そのことが、気に懸かった。
騎馬戦に限らず、我々の世界では、誰もが一騎当千のヒーローになれるわけではない。努力したからといって、必ず結果が出るという保証もない。
しかし、だからと言って努力を投げ出しても、それは何の解決にもならない。白組の子たちが、励むことを馬鹿にしたり、躊躇したりするようには、どうかならないで欲しいと願っている。
そして、どれだけ努力が報われなくとも、その人のことを受け止める世界がある。それを、仏教では浄土という言葉で教えている。そんな世界があることを知って、安心して、ひたむきに努力して欲しい。この年の運動会では、そういうことを思わされた。
(『ともしび』2025年10月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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