法語に込めた思い
阿弥陀さまの功徳は、子に対する親の愛に喩えられます。
少し前まで泣きながら後追いをしていた我が子が、今では「待って」と呼び止めても見向きもしなくなりました。それでも、保育園の先生のもとに駆けていく子の背中を見守っていると、阿弥陀さまもこの詩のように我々を見守ってくださっているのかなと思いを重ねます。
掲示板に込めた思い

燈明寺は、蓮如上人も訪れた加賀山中温泉の温泉街に建つお寺である。そのため、燈明寺の掲示板の前には、地域の方をはじめ、観光客の方もよく足を止める。「見てますよ」と声をかけられることもあるそうだ。
現在、掲示板の言葉は、ご住職の娘の史香さんとその夫の駿さんとが交互に選んでいる。
駿さんは、真宗の学びの中で、自身の経験と照らし合わせて得られた気づきを、掲示板を見る人にも共有できればとの思いから、『真宗聖典』の言葉を選ぶことが多いそうだ。
それに対して史香さんは、通りかかった人に、より目を向けてもらえたらとの思いから、生活の中で感じた事柄を表現した言葉を選ぶことが多いという。
現在、駿さんと史香さんとの間には二人の小さなお子さんがおられ、子育ての真最中である。紹介した俵万智さんの短歌は史香さんが選んだ言葉で、史香さんの経験と真宗の教えとが重なり合う、実感の伴った言葉だと感じる。
掲示板を見た人に伝わってほしいと考えながら言葉を選ぶ時間は、自分たちの受けとめをあらためて確認することになり、それは自分たちの学びにつながっていると語ってくれた。
(小松大聖寺教区通信員・出雲路 雅)
『同朋新聞』2025年10月号「お寺の掲示板」より
ご紹介したお寺:小松大聖寺教区 第1組 燈明寺(住職:冨樫 和國)
※役職等は『同朋新聞』掲載時のまま記載しています。





























