蓮如如上人の北陸布教後、加賀国は一向一揆の勢力が大きくなり「百姓の持ちたる国」と言われる時代が百年近く続いた。その終焉の地となった鳥越城跡の麓に別宮町がある。白山に源を発する手取川と大日川の清流に恵まれた山里である。
妙觀寺は、一五九八(慶長三)年に道場として創建され、一六六〇(萬治三)年に寺号を公称する。「西谷の総道場」と呼ばれ、大日川流域(西谷)の約二十集落と御講のご縁で結ばれてきた。各集落の御講「谷御講」は、「加州能美郡山内西谷講中」と書かれた常如上人(本願寺第十五代)の御消息をいただいてお参りしている。昨今は過疎化により御講を開く集落は減少したが、三五〇年来「谷御講」の形が護られている。
夏休みになると、先代より六十年余り続いている「お寺子ども会」が開かれ、子どもたちが境内に集まり、ラジオ体操をしてから本堂で「正信偈」を勤めている。譲さんが住職になってから、映画会や折り紙遊び、念珠作りなど楽しい活動を取り入れ、お昼のカレー作りもしており、「子ども会のメンバーが本山の子ども奉仕団に参加したり、教区の事業に参加したりする。お寺で正信偈を勤めたことが参加のご縁となっている」と話された。
コロナ下でカレー作りができない時、譲さんが境内の落ち葉を掃き集めていると、子どもたちが寄ってきたことがあった。「落ち葉で焼き芋しようか」と話しかけたところ、二十人もの親子がお寺に集まって焼き芋大会になり、芋が焼き上がるまでの間みんなで本堂のサッシを拭いてくれたという。譲さんの人柄もあると思うが、子ども会が根づき子どもたちの僧伽となっていると頷けた。
このように自然体で子ども会を続けていけるのは何故なのか尋ねると、「皆さんに真宗門徒として本山へ行って、親鸞聖人御真影のもとで正信偈を勤めてほしいと思っている。蓮如上人は文字を読めない人にも正信偈を声明で広め、僧伽が形成されていった。お勤めや活動が子どもたちの心に、大人になっても楽しいお寺の思い出として残ってくれたら嬉しい。帰依三宝の実践の一つという理由でやっている。どう実践するかがお寺の仕事ではないだろうか」と語られた。
この言葉に、真宗寺院の在り方とは何か、核心を突かれたような思いがした。坊守として自分のしていること、自分のできることを問い直す機縁をいただいた。
(小松大聖寺教区通信員・森本信子)
『真宗』2025年7月号「今月のお寺」より
ご紹介したお寺:妙觀寺(住職:山内 譲)
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しております。































