中山町長崎は日本三大急流に数えられる最上川が流れ、江戸時代には北前船の船着き場として栄えた。県内から米や紅花を運び、京都からは衣料やひな人形等の上方文化を積み帰ってきた。そんな歴史ある町に賴圓寺はある。今回は住職の河南亨さんにお話を伺った。
住職を継職してから四年になる亨さんは、昔よりもお寺に人が集まりづらくなっているのではないかと感じているという。「お寺に興味がある人に声をかけ、最初は茶話会から始めてみて、隠居する頃には報恩講で本堂が満堂になることが夢」と語られ、お休みしていた真宗本廟奉仕やおみがき、境内清掃といった活動を再開し、ご門徒と自然に交流できる機会を少しずつ増やしている。特に奉仕団は、門徒さんと生活を共にして語り合う中で、普段見えなかったことに気づき、距離感も縮まったように感じたので、これからも続けていきたいとのこと。
自坊だけでなく、組内のお寺との合同奉仕団も行ってみたいという。また、若い世代にお寺に目を向けてもらいたいという思いもあり、地域の若手寺族にも協力してもらいながら、お寺で子ども会を始めたいとも考えている。
お寺づくりで心がけていることは、「敷居が高くなく、足を運びやすいお寺にしたい」と話された。ご自身が若い頃は、僧侶の集まりは堅苦しく敷居が高そうだと苦手意識があり、積極的には参加しなかった。意識が変わり始めたのは東日本大震災が起きた頃で、「何かできないかな?」という思いが湧き、教区仏教青年会をはじめとした様々な方と繋がり、活動を共にするようになった。その中で「敷居が高そう」というイメージが変わり、居心地の良さを感じたとのこと。また訪問先のお寺の住職とご門徒の距離感や関わり方を目にした経験から、積極的に人と繋がり発信できるお寺を開いていきたいという思いになったという。
印象に残ったお話は、大晦日に友人と正月に供える餅を作っているということ。元々は忘年会のような形で始めたが、今では本堂で一緒に掌を合わせるようになり、仏事や家族のことを相談されるなど、いつの間にかお寺の座談会のような形になっていたと笑いながら教えてくれた。
「背伸びして、これもしよう、あれもしようでは続かなくなってしまう。やれることをコツコツ伝えていきたい」と楽しそうにお寺の将来を語る住職が印象的な取材となった。
(東北教区通信員・佐々木智悠)
『真宗』2025年8月号「今月のお寺」より
ご紹介したお寺:賴圓寺(住職:河南 亨)
※役職等は『真宗』誌掲載時のまま記載しております。































