2001(平成13)年 真宗の生活 6月 【高木顕明】
<高木顕明師の事績に学ぶ>
今から九十年前、国中が日露開戦・戦勝に沸き立つ中、和歌山県新宮において、非戦と平等を願い求めた人びとがいました。その一人が大谷派の僧侶・高木顕明師です。
当時、彼らは「主義者」と見なされ、「大逆事件」の罪を着せられ連座。さらに大谷派は高木顕明師を住職差免、僧籍を剥奪しました。この事件は、触れてはならない恐ろしい事として民衆の心の奥底に記億され、歴史の闇の中に置き去りにされます。九十年という時を経て、この人びとの生きざまを照らしだす機運がようやく生まれました。大谷派は一九九六年処分の誤りを認め、取り消しを声明し、名誉回復をしました。
高木顕明師の事績を紐解けば、当時、社会の底辺で差別や貧困に喘ぐご門徒たちと、同苦・同呻した姿が浮かび上がります。彼の非開戦論や廃娼運動は、そのご門徒たちとの生活をとおしてのであいの中から湧き出たものでありまじた。それは、貧困の原因は何か? この国とはどういう国か? 僧侶とは一体何をする者か? という「問い」として表れます。そして、この「問う」ということこそが、「大逆」の理由でもありました。
高木顕明師は、「戦争は極楽の分人の成す事で無い」と非戦論を説きました。町に公娼街が設置されるや、利用者に帰るようにと身体を張って説得したことが伝えられています。行動をもって廃娼を訴えた男性が他にいたでしょうか。
過去がきちんと過去として刻まれていくことがないならば、未来はただ昨日の続きの今日にすぎません。自らの過去を過去としてきちんと振り返ることができたとき、未来と共に在る、今を生きることができるのではないでしょうか。九十年の時を経て、田舎の一僧侶の生きざまが、単なる過去の事柄としてではなく、歴史の闇の中から紡紡ぎだされた一縷一縷の光として、この混迷する現代社会を照らします。
『真宗の生活 2001年 6月』【高木顕明】「高木顕明師の事績に学ぶ」