一 親(しん)鸞(らん)は父(ぶ)母(も)の孝(きょう)養(よう)のためとて、一(いっ)返(ぺん)にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。(中略)わがちからにてはげむ善にてもそうらわばこそ、念仏を回(え)向(こう)して、父母をもたすけそうらわめ。ただ自(じ)力(りき)をすてて、いそぎ浄土のさとりをひらきなば、六(ろく)道(どう)四(し)生(しょう)のあいだ、いずれの業(ごう)苦(く)にしずめりとも、神(じん)通(ずう)方(ほう)便(べん)をもって、まず有(う)縁(えん)を度(ど)すべきなりと云々 (『真宗聖典』六二八頁)
冒頭の「親鸞は両親の供養のために一度も念仏をしたことがない」という文章に驚かされます。親鸞はお坊さんでしょう。お坊さんが追善供養(ついぜんくよう)を行うのは当然でしょう。それなのになぜ一度も念仏したことがないというのでしょうか。
「孝養」とは、亡き両親に対する追善供養のことです。ここには親鸞の供養に対する考え方が表れています。供養とは、「死者の霊に供(く)物(もつ)を捧(ささ)げ冥(めい)福(ふく)を祈る」等の意味があります。つまり供養が成り立つ前提には、死んだものは供養しなければ浮かばれないものという観念があります。もっといえば、死んだものは無条件に迷い苦しむものだという偏見です。それで生者が供養して死者を浮かばせるという発想になるのです。
この発想には、この世を生きているものは幸せだが、死んであの世にいったものは不幸だという生者の偏見が潜(ひそ)んでいます。いまだに死んだことのない人間が、あの世は淋(さび)しく暗く冷たい世界に違いないと差別しているのです。親鸞は、その考え方に疑問を投げかけます。死者は生者が浮かばせてあげるような不幸な存在でしょうか、それとも阿(あ)弥(み)陀(だ)如(にょ)来(らい)の浄土へ往(おう)生(じょう)して救われていく存在なのでしょうかと。
ただし供養の底を流れるものは人間の情愛でもあります。親鸞も幼少期に父母と別れ、両親を想うこころは人一倍強かったと想像します。ですから、亡き親を想って念仏を称(とな)えたことがあったに違いありません。親を想う情愛は感情ですから、人間の理性を超えています。いくら親への想いを否定しても湧(わ)いてくるものが感情です。ですから、「両親の供養のために、いまだかつて一返も念仏を称えたことはない」と述べていても、そのとおりに受けとることはできません。私は、死ぬまで親鸞は親を想っていたに違いないと思います。ただし、亡き親を想い冥福を祈ろうとしたそのとき、念仏を「わがちからにてはげむ善」にしているではないかという阿弥陀の叫びが聞こえたのでしょう。念仏は人間が努力してするものではなく、阿弥陀如来の叫びなのだと思い至ったのでしょう。それが「一返にても」という言葉に強く表れています。
どこまでも親鸞一人が救われていく、その方向性以外にすべての人々が救われていく道はないのです。宮沢賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(「農民芸術概論綱要」)といいます。これは阿弥陀の本願を易しく表現したものでしょう。ただしそれを人間が実現しようとすると、逆に人類は不幸になってしまいます。コミュニズム(共産主義)はそれを実現しようとしましたが、結果的に世界を見渡してもそれがうまく実現している国をみたことがありません。人間が阿弥陀の本願を利用して幸福の実現を掲げると、個人の幸福は犠牲になります。世界にはまだ苦しんでいる人がたくさんいるのに、個人が幸福になったと喜んでいいのかと批判を受けるからです。親鸞が「ただ自力をすてて」というのは、それは阿弥陀の本願が実現することであり、人間の企図(きと)にすり替えてはならないということです。誤解を恐れずにいえば「個人が幸福にならないうちは、世界全体の幸福はあり得ない」といっていいのだと思います。その「個人」とは一(いっ)切(さい)衆(しゅ)生(じょう)と絶縁した個でなく、一切衆生を代表する個に違いないのです。
『同朋』2013年7月号「「なぜ?」からはじまる歎異抄」(東本願寺出版部)より