「懐かしい故郷の長崎の風景」「住み慣れた宇治の街並み」「必死に守り育ててくれた母への愛情」「平和を求める心からの叫び」

原爆の惨禍、生きてきた証、そして平和の願いを絵に託す

-原野宣弘作品展-

2018年1月10日(水)~22日(月)【観覧無料】

生後10か月で長崎の原爆で被爆した原野宣弘さん。次々と襲う病の中で、リハビリのためにはじめた絵画。その絵には故郷への思いと、平和への願いが込められています。是非、ご覧ください!!

●会 場 しんらん交流館1階交流ギャラリー

●時 間 【平日】午前9時~午後7時、【土日祝】午前9時~午後5時、【休館日】毎週火曜

●期 間 2018年1月10日(水)~22日(月)
原爆の惨禍、生きてきた証、そして平和の願いを絵に託す 原野宣弘 A
 原爆の惨禍、生きてきた証、そして平和の願いを絵に託す 原野宣弘 B

1945年8月9日、原野宣弘さんは生後10か月のとき、長崎の原爆にあいました。原爆の影響で行方不明となった父を捜すため、母に背負われ遺体を一体ずつ確認しながら探し歩いたということを、後年になって聞きました。

その後も脱毛や下痢に悩まされ続け、12歳になっても被爆者健康手帳には、「育ち盛りなのに、食欲がなく、疲れやすい子ども」と書かれるほどでした。

原爆の影響からの脳出血、言語障害、右側体幹機能障害、次々に病にあわれました。

そのような生活の中で、50歳を過ぎた頃リハビリを兼ねてはじめた絵画。

描きたいと思った絵は、〝長崎への思い″〝平和への願い″です。

「被爆者として生きてきた証を残したい」

「父や母や兄弟姉妹たちの体験したあの惨禍を二度と繰り返さないように」

「人類が核を保有する時代を終わらせなければならない」

 

後世に描き遺していくことが〝使命″であると。

「懐かしい故郷の長崎の風景」「住み慣れた宇治の街並み」「必死に守り育ててくれた母への愛情」「平和を求める心からの叫び」、困難な体調と暮らしの中で描かれた作品は50点にも及びます。

このたびの展示では、核の原野宣弘さんの作品をとおして、戦争・核・被爆の実態・平和への願い・被爆者の訴えへの理解が深まることを願っています。

主催: 真宗大谷派(東本願寺) / 共催:京都原水爆被災者懇談会/京都「被爆2世・3世の会

・京都被爆2世3世の会ホームページ http://aogiri2-3.jp/

・原野宣弘さん記事 朝日新聞 http://www.asahi.com/area/nagasaki/articles/MTW20160422430770001.html

https://www.asahi.com/articles/ASJ5B0ST2J59PTIL049.html

・平和の願いドットコム(原野宣弘さんの絵画が多数掲載されています) https://heiwa-no-negai.com/

・原野さんご子息のあいさつ https://heiwa-no-negai.com/topics/20171228.html