MDRI015 1922年3月全国水平社は誕生と同時に、東西両本願寺教団に対して「募財拒否」を行っています。部落大衆の「貧困」が理由であると述べていますが、その底流には本願寺の募財のあり方が、差別を拡大し再生産しているという強い批判がありました。

水平社は、同時に部落大衆に「部落内の門徒衆へ!」という文書(檄)を出して、募財拒否を行った動機やその根底に流れている願いを訴えました。その願いとは、部落の人々の暮らしを支え励ましてきた、「御同朋、御同行」である親鸞聖人への思いであり、生活の中で生き生きと息づいた真宗信仰の姿です。

1962年に始まった真宗同朋会運動は、「同朋社会の顕現」という課題を持った運動です。この運動が要請されたのは、同朋社会の顕現を願わずにはおれない教団の現実、門徒一人ひとりの生活があり、水平社の「糾弾」の後もなお同朋の教団であることを喪失した姿がそこにあったからでした。

親鸞聖人が「同朋」という言葉によってしめされようとした人と人、人と社会、衆生と世界の関係性はどういうものなのでしょうか。

真宗同朋会運動を推進する中で、宗門内外の女性たちから、性別にかかわりなく一人(いちにん)としての尊厳を認めあい、水平に出遇うことのできる同朋社会が願われていました。

また戦争を経験した世代からは、靖国神社による戦死者の死の選別を超えて、国を超えて戦争を厭い、共々に平和を願う人と人との関係の回復が願われてきました。

それらの願いになんとか呼応しようと、宗門は様々な取り組みを企画し、また社会の諸課題に対して声明や要望、メッセージを発信してきました。その発信した言葉から、あらためて自らの姿と歩みが照らし出され、糺されてきたように思われます。

そのような歩みの中で宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌をお迎えしたその時に、教団の存立が試される大きな出来事が起こりました。

東日本大震災、東京電力福島原子力発電所事故を通して、決して個人に沈み込まない、姿勢・生きざまとしての「信心」が問われています。震災や終わりの見えない原発事故の中、人と人がつながることは難しいことでありますが、「衆生の安危を共同する」という菩薩の願いに呼応する人と人のつながりが、どれほどの勇気を与えてくれることか。

同朋と呼び合える人と人の関係性を回復する、その困難な歩みに身をおいていくこと、それはいのちの平等性を自覚し、人間の生命の尊厳性に気づき、それを護っていく終わりのない歩みです。

その積み重ねが僧伽の建立にむけた小さな歩みとなるのではないでしょうか。

人権週間ギャラリー「同朋会運動のこれからに向けて」