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今春発刊された『しんらん交流館たより 第2号』。どこかのんびりとした雰囲気のある灯台と船が描かれる《奄美風景》という絵が表紙です。また、しんらん交流館ホームページ(浄土真宗ドットインフォ)のトップぺージの絵も誌面と連動。真宗教化センターしんらん交流館の雰囲気をみなさんに伝えてくれています。実はこの絵、奄美大島出身のハンセン病療養所の入所者が描いたもの。今回は絵にまつわるエピソードをご紹介します。
■1枚の絵をきっかけにしんらん交流館での展示へ
2016年12月にしんらん交流館で開催された「いのちのあかし絵画展」。その様子は、交流館日記でも紹介していますが、展示の内容を決めるきっかけとなったのは、雑誌『コトノネ』18号に掲載された《奄美の豚》という1枚の絵。
この絵は、国立ハンセン病療養所菊池恵楓園の絵画クラブ金陽会に所属する大山清長さんが描いたもの。2018年3月からの表紙・トップページの絵である《奄美風景》の作者でもあり、奄美大島のご出身です。
しんらん交流館内にある解放運動推進本部では、毎年12月の人権週間にかかる時期に人権週間ギャラリー展を開催しており、2016年は「らい予防法」廃止から20年、ハンセン病国賠訴訟勝訴判決から15年という節目であったことから、ハンセン病に関する展示を企画、ハンセン病療養所の入所者が描く絵に目がとまりました。
作者である大山清長さんは、療養所に60年入所、2015年に亡くなられ、故郷に帰ることはありませんでしたが、家族の住むなつかしい風景をいくつかの作品にして残されました。
いま奄美大島に住む人が大山さんの絵を見ても、島のどこを描いた絵なのか場所を特定できるそうです。半世紀以上前の記憶だけをたよりに描かれたとは思えないほど鮮明に描かれた故郷の絵。「故郷(ふるさと)」、「家族」という日常にある当たりまえのものが、ハンセン病の罹患という事実によって分断してしまう政策があったこと。そして、その政策によっても断ち切れない想いを人にはあるということを、しんらん交流館に展示された大山さんの絵を含めた約40点の作品が伝えてくれました。
■展示から表紙絵に。そして、圓周寺での調査へ
しんらん交流館での「いのちのあかし絵画展」期間中、学芸員であり、金陽会の作品の調査・保存を行う藏座江美さん(一般社団法人ヒューマンライツふくおか)と、小笠原英司さん(名古屋教区第14組圓周寺住職)による公開シンポジウムが開催されました。
熊本市現代美術館の開館記念の展示をきっかけに金陽会を知り、菊池恵楓園に足を運ぶようになったという藏座さん。金陽会の作品を縁に、ハンセン病隔離政策に異を唱え続けた小笠原登氏(1888-1970年)の存在を知り、交流館での行事を通じて親族とお会いしたことから、小笠原登氏の生家である圓周寺での調査を小笠原英司さんに依頼、2017年6月には4日間にわたる調査が実現しました。
■作品だけでも里帰りを。「ふるさと、奄美に帰る」展へ
この展示を縁に、2016年4月に発行されたしんらん交流館の活動をお伝えする広報誌『しんらん交流館たより 創刊号』の表紙、そしてしんらん交流館ホームページのトップページの絵として、金陽会所蔵の絵画を採用することとなりました。
※『しんらん交流館たより 創刊号』の表紙をさわやかな印象にした森繁美さんの《根子岳》
閉ざされた療養所の中で、外の人に見せることはないと思いながら入所者の方が書き溜めてきた金陽会の絵画。その絵のもとで交流がうまれ、あらたなつながりが生まれていきます。
さらには、しんらん交流館での展示期間中、観覧者から「ふるさとの奄美に作品だけでも里帰りさせてあげたい」という声が寄せられたそうです。それは学芸員である藏座さんが、金陽会の作品の調査を重ねる中で抱いてきた思いでもありました。
絵を観た人の声に背中を押された藏座さんは、クラウドファンディング(※)で資金を募り、ついに、奄美大島での金陽会の絵画展開催を実現するに至ったのです。
しんらん交流館での「いのちのあかし絵画展」から2年。「ふるさと、奄美に帰る」展という名で、奄美大島の3か所を会場に開催され、ここでも新たな歴史がつながる交流が生まれていました。
後編では、『しんらん交流館たより』の表紙、そして、「真宗教化センター しんらん交流館」のホームページのトップページの絵の舞台と、この里帰りによって生まれた交流の様子をレポートします。(後編につづく)
(文:企画調整局)
※藏座江美さんの「金陽会」についての連載。しんらん交流館での展示や、「ふるさと、奄美に帰る」展までの経緯も書かれています。