第10回「真宗大谷派ハンセン病問題全国交流集会」
基調講演「当事者とは誰のことか─「らい予防法」廃止からの20年を振り返って─」

<ハンセン病国賠訴訟西日本弁護団代表・ハンセン病市民学会共同代表 德田 靖之>

一九九六年「らい予防法」廃止から二十年、ハンセン病国賠訴訟・熊本地裁判決から十五年を振り返りながら、私たちにいま問われている課題について話したいと思います。
「らい予防法」廃止は、この国におけるハンセン病隔離政策を廃止したという歴史的な意味があります。しかし、この廃止には大きな限界、あえて言えば過ちがあったと私は思っています。それは、どこに過ちがあったのか、どうすべきであったのかを不問にしたままで廃止した点です。過ちをそっとしたまま隔離政策を終わらせるという対応を、私たちは「らい予防法の安楽死」と捉えました。
その状況の中で「らい予防法」は憲法違反だと、熊本地裁、岡山地裁、東京地裁で「国家賠償請求訴訟」が提起され、熊本地裁は、「「らい予防法」は憲法違反である」との、素晴らしい判決をいたしました。その後のハンセン病問題における様々な課題の解決は、この熊本地裁判決を足掛かりにして行われました。

「身の程知らず」

しかしながら、なお変わりえていない課題があります。第一は、差別・偏見がいまだに克服されていないということです。画期的な熊本判決の翌年に、「黒川温泉宿泊拒否問題」がおこります。当時の熊本県知事の厳しい対応に、ホテルの側が過ちを認めて宿泊拒否を撤回し、謝罪しましたが、ホテルに対して、入所者から批判の声があがりました。ところがその後、菊池恵楓園に三百通を超える誹謗中傷のハガキ、手紙、ファックスが殺到する事態となったわけです。特に腹立たしく感じたのは、「身の程知らず」という言葉が共通していたということです。これらの方々は、隔離政策の被害を受けた方々が大変な苦労を強いられたということをある程度は理解をしている。被害を受けた方々が「大変な思いをされて、気の毒ですね」と同情され、控えめにつつましやかに行動する限りにおいては理解もし、決して批判はしない。しかし、加害者に対しその責任を追及しようとすると、途端に態度が変わる。「身の程知らず」という言葉に、その態度の変化が見事に表されていると思います。私は、このことの意味を深刻に考えざるを得ませんでした。

当事者とは誰のことか

私たちがハンセン病問題における差別・偏見を克服していくという問題を考える際、この問題における当事者とは、いったい誰のことを言うのかがきわめて重要だと考えています。もちろん当事者という言葉は、直接的にはハンセン病隔離政策の被害を受けられた方々や家族です。
しかしながら、当事者という問題を考える際に、第一に私たちが、自分自身を振り返りながら考えるべき事柄は、自分はどのような意味での加害者としての責任を問われるのか。そのことを自分自身に問い詰めていく中に、ハンセン病問題と自分の関わり方、当事者としてこの問題に関わるという意識が生まれてくるのではないかと感じています。
第二に私は、隔離政策の中で、様々なかたちで直接的な加害責任を犯してしまった方々に、どういう問題があったのかということを考えることが必要ではないかと思っています。
「救らい思想」を掲げた医師や看護師、療養所の中で布教を続けられた方々は、どのような方々でしょうか。苦しい人生を余儀なくされている方々に、自分の人生を捧げたいという尊い志を持たれた方々であります。そうした志が、何ゆえに過ちを犯すに至ったのか。それを解明しなければ、誤った考えを持った人が誤ったことをした、正しい認識を持ちさえすれば問題は起こらなかったという、きわめて歪曲化された問題認識に終わってしまいます。気高い職業観や宗教的な志を持った人たちが、どうして大変な過ちを犯してしまったのか。この問題に関わって十八年ぐらいになりますが、今日まで、残念ながら答えがまだでていません。

加害の認識の弱さ

私自身が考えたことは、「救う」という思いが強ければ強いほど、「救ってあげる」という思いで行う行為は絶えず正しい。しかし、「救われる」側にいる人にどのような災禍をもたらすかということを省みることが実に少なくなる。そうした「救う」という立場に立ち続けるということが、あの過ちを犯した要因の一つであり、あの過ちに気づくことが遅れてしまった要因ではないか。
そのような「救らい思想」の問題を考えていく際に、私たちが行き当たるのが、「立場」です。ハンセン病問題における当事者とは何だろうか、ということです。
ハンセン病という病気にかかり、世間の差別に晒され、大変苦難な人生を歩むことを余儀なくされた人たちに、自分がどう向き合うかという対象として考えている限り、当事者として関与するということにはならない。「救らい思想」の限界とは、当事者意識を欠いていたという問題だと思います。実は、私たち自身が、このハンセン病問題において、私がいうところのそのような広い意味での加害者という立場には立っていない。救う対象としてきたという加害者としての認識があまりにも弱すぎたことが、原因の一つになると思っているわけです。

終わらない歩みを共に

さらに私は、ハンセン病問題における当事者とは誰のことかという問題を、加害者という立場でものを見るというふうに置き換えることには、少し問題があると気づいてきました。加害者とか被害者という捉え方を超えたところに、ハンセン病問題における当事者性という問題がある。私自身、同じ時代を生きてきた人間として、自分はハンセン病という問題にどう関わったのか、どう関わろうとしてきたのかということを問い直す。その方々から自分たちは何を得たか。自分は、ハンセン病問題をどのように捉えてどのように生きようとしてきたか。それを深めていくことが、ハンセン病問題における当事者として、この問題を捉えるということにつながると考えるわけです。加害者としての当事者という問題では捉えきれない、新しい考え方を生み出すことを可能にするのではないかと、私は思っております。
(文責・解放運動推進本部)

20年を振り返り、私たちの”今”を問うた德田 靖之氏

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2016年8月号より