ハンセン病療養所のお寺が教えてくれたこと
<ハンセン病問題懇談会広報部会チーフ 京都教区 谷 大輔>

 現在、日本には国立ハンセン病療養所が十三ヵ所あります。そして、それぞれの療養所には、寺院や教会といった宗教施設や、納骨堂があります。かつては火葬場、さらには監禁室までありました。そもそもハンセン病を治療・療養するはずである〝療養所〟に、どうしてそれらの施設が必要だったのでしょうか。
 

療養所という場所

 一八九七年、ベルリンで開かれた第一回万国癩会議では、ハンセン病は感染症であり、その予防策として隔離がよいと確認されます。当時、近代国家を目指す日本では一八九九年に欧米人たちに「内地雑居」を認め、国内を自由に居住・旅行ができるようになったことを機に、ハンセン病患者をその視線から覆い隠すために一九〇七年の法律「癩予防ニ関スル件」を公布し、「隔離」という方向へと突き進んでいきました。日本のハンセン病政策は、ハンセン病を「国辱(くにのはじ)」とするところから始まったのです。
 ハンセン病患者を終生隔離する場所が、ハンセン病療養所でした。常識的に考えて療養所で病気を治癒したならば、当然療養所から退所してもいいはずです。しかし、日本のハンセン病政策は治癒した者の退所も許しませんでした。つまりハンセン病が発症し、ハンセン病療養所に一度入所すると死ぬまでそこに居なければならず、死んだ後も故郷に帰ることを許されなかったのです。その政策は一九四七年にハンセン病の特効薬であるプロミンが日本で使用されるようになっても続き、それどころか隔離の根拠となる法律をさらに強化していきました。
 このような理由で、ハンセン病療養所には、葬儀をするための宗教施設と火葬場、遺骨を納める納骨堂が必要だったのです。
 

隔離を前提とした布教

 宗教施設にはもう一つの側面がありました。
 真宗大谷派は、隔離政策が始まり療養所が開設された当初から、ハンセン病政策と深い関わりを持っていきます。一九三一年「癩予防法」制定の直後には、大谷派光明会を設立し、教団の主体的な取り組みとして、国の絶対隔離政策に歩調をあわせていきます。療養所に出向き、積極的に情熱をもって布教を行った先輩方がおられました。しかしその内容は、諦めと隔離を受け入れることを宗教的に意味付けし、患者が受けている被害を覆い隠してしまうことにもつながりました。その布教によって現実の苦しみが癒されたことはあったでしょう。しかし、「隔離」を前提とした布教は、それが意味する大きな過ちや人権侵害を、宗教者として気付き、課題としていくものではありませんでした。
 

大谷派が大切にしてきたこと
長島愛生園・真宗会館(岡山県瀬戸内市)  一九九六年、隔離政策の根拠となっていた「らい予防法」が廃止され、大谷派は「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」を発表し、国へ「『らい予防法』廃止にかかる要望書」を提出しました。そして当時から療養所と関わっておられた方々が意識しておられたことは「交流」でした。
 ある療養所にある寺院の構造は、正面に参詣者が入堂するための玄関があり、それとは別に布教使が控え室に入るための玄関が設けられています。当時の入所者と宗教者の関係性を象徴するかのような構造に見えます。
 しかし、「救済する者」と「救済される者」という関係の隔絶ではなく、療養所に訪れた者と入所者が共に語り、時には寝食を共にし、共に声を聞き合い、共に解放される在り方を大事にしながら、現在まで交流を重ねてきました。
 

各園における同朋会
邑久光明園・西本願寺会館(岡山県瀬戸内市内)  ほとんどの療養所には浄土真宗の教えを聴聞し、共に語り合う同朋会があります。親鸞聖人が顕かにされた本願念仏の教えの元に集う衆会です。それぞれの同朋会には、寺院の設立建立の苦労があり、人間の歴史があります。その苦労や歴史は、隔離の悲しみであり、交流の喜びなのです。現在、地域社会のお寺が抱える問題と同じように、療養所もまた高齢化するなかで、入所者の方々はお寺と同朋会を大切にされています。今後も私たちは「交流」から学んだ「場」の大切さを忘れず伝えていきたいと思います。
 
 次号から「ハンセン病はいま」にて、「各園における真宗同朋会の歴史」を連載いたします。各園の真宗同朋会の歴史や現状を紹介するとともに、交流を通して紡いできた人と人との関係を通して感じ取られたことを掲載していきます。
 

《ことば》
私たち自身が継続的な「学習」を続けていくこと、
そして「教え=ことば」が常に人間回復・解放の力と成り得るような、
生きた教えの構築と教化を宗門の課題として取り組んでいくことを
ここに誓うものです。

 一九九六年に真宗大谷派が表明した「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」の中でのこの誓いは、二十年たった今でも大切な言葉です。
 昨年、大垣教区において、若いスタッフの働きかけで、ハンセン病問題学習会が開催されました。学習会では「もうハンセン病の問題は終わったのでは?」といった発言もありました。
 「声明」が出た当時から時間を経て時代が変わるなかで、ハンセン病問題からの学びを、より多くの人たちと共有していくための新たな「場」を作っていくことの大切さと、現在の社会が抱える人権・差別の問題に対して「生きた教え」とは何かと、常に課題とすることの大切さをあらためて感じたことでした。
(岐阜教区・佐々木賢成)

 

真宗大谷派宗務所発行『真宗』誌2017年6月号より