鈴と、小鳥と、 それから私 みんなちがって みんないい

金子みすゞ
法語の出典:『金子みすゞ童謡全集』
「私と小鳥と鈴と」(JULA出版局)

本文著者:佐賀枝夏文(大谷大学名誉教授)


童謡詩人の金子みすゞさんの詩に出会うと、いままで阿修羅のように振る舞っていたわたしを、瞬時に「ぬくもりの世界」に導いてくれます。
何の自覚もなく、「じぶん」勝手に考えて暮らしているからでしょうか、おもい通りにならないと、相手が悪いとつい考えてしまいます。ほんの、ささいなことにも腹をたて、つらいと愚痴となります。わたしに味方してくれるひとは好きで、そうではないひとは嫌いです。このようなわたしですから、ひとを傷つけ、草木に目もくれず「じぶん」の都合だけを考えて暮らしているようにおもいます。

金子みすゞさんのつぶやき

金子みすゞさんはやさしく語りかけてくれます。
―――いま、あなたは「じぶん」を中心に考え、あなたの価値観がすべて正しいとおもっているようですね。少し、ココロを澄まして静かにあなたに届いている、小鳥たちの自由に飛ぶすがたやさえずり、そして、鈴の音を味わいませんか。小鳥たちは、無量寿(いのち)を尽くして空を飛んでいます。あなたは、小鳥のように自由に空を飛べませんが、それでいいし、鈴は、すずやかに奏でるのでいいのではないですか。あなたは、「じぶん」という立場からしか、見ようとしていないようですが、それぞれが、違っていいのではないですか。
ひとは「じぶん」の願いがかなうようにと、懸命に考えるから窮屈になるのではないですか。あなたは小鳥たちのように、大空を飛べたらと考え、鈴のようなすずやかな音色をうらやましいと考えますが、それはかなわないことです。あなたとして、生きればいいのではないですか。あなたは、如来の本願でつつまれているではありませんか。無量寿に重い軽いはなく、それぞれに如来の本願がくまなく届けられているのですから、不足はないはずです―――。金子みすゞさんはそう語りかけているようにおもうのです。

金子みすゞさんとの響き合い

金子みすゞさんの詩に出会うと、不思議な感覚が生まれます。それは、阿修羅のようにひとを蔑(さげす)み、うらむわたしに、「やさしさ」と「愛おしさ」を届けてくれるからです。
こんなことをおもいます……。とんでもなく勘違いして「じぶん」勝手に生きているわたしにも、「やさしさ」と「愛おしさ」を金子みすゞさんは、灯そうとするのではないか。そして、おもうのです。こんなわたしにも大切なことに、気がつく「たね」があったことに気づかせてくれます。いいところなんてなにもない、救いようのないわたしに、「ぬくもり」があることを教えてくれます。そして、「あなたはそのままでいい」と、認められ許されるよろこびにつつまれるのです。金子みすゞさんは詩を通して如来の本願を伝えてくださり、わたしは、それを感応できたことが、無上のよろこびです。
金子みすゞさんの詩と出会い、灯していただいた「ともしび」に、この「身」のいたらなさをおもい、「それでもいい」とつつんでいただきました。そして、このことを通して、踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)ということが、沁みるように少し身近に感じられました。


東本願寺出版発行『今日のことば』(2013年版【5月】)より

『今日のことば』は真宗教団連合発行の『法語カレンダー』のことばを身近に感じていただくため、毎年東本願寺出版から発行される随想集です。本文中の役職等は『今日のことば』(2013年版)発行時のまま掲載しています。

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