「一味なる同朋唱和」
(新野 和暢 教学研究所嘱託研究員)
二〇二三年、「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要」をお迎えします。しかし私の場合、幼い頃の思い出さえも記憶の果てに追いやり、自身の過去を切り捨てながらの生活となってしまっています。そのため、宗祖のお誕生や立教開宗を日々の課題として受け止める難しさを感じています。
そこで立教開宗の意味を尋ねるべく、約百年前の一九二三(大正十二)年に厳修された、七百年目に当たる「立教開宗法要」の記録を調査しました。そこには、旧高倉学寮講堂を改造し高倉会館を開館するなど多くの記念事業を行ったことが記されていました。両堂の荘厳はもちろんのこと、門前や地域に「五環紋」が染め抜かれた旗が立てられ、宗門と地域が願いのもとに奉賛の意を表したことが分かりました。それは「朝から大師堂に座り込んで便器携帯の信者がある位詰めかける参詣に身動きもならぬ」(『中外日報』大正十二年四月十二日)と報道されているほどでした。
この中に見過ごせない事実があります。現代の真宗門徒にとって、僧俗が一緒になって「正信偈」をお勤めすることは、何ら違和感を持たない「真宗」のすがたですが、それを確実にした源流がこの法要にありました。
七日間にわたって厳修された「立教開宗法要」にあって、式次第には記されなかった勤行がありました。それが「同朋唱和」です。当時の告示に、
とあり、毎日の法要後、堂衆調声のもとで「正信偈回向文」を唱和したのです。黒衣墨袈裟を着した堂衆が外陣に着座し、勤行が始まると三百人余の僧俗が「正信偈」を一同に唱和しました。それは、御影堂内に開かれた新しい場であったのかもしれません。
ではなぜ、この様な法要をわざわざ設けたのでしょうか。その意図は、僧俗分け隔てなく念仏申した親鸞聖人のみ教えを確かめたことに他なりません。当時の大谷派機関誌『宗報』は「同朋唱和」を許した根拠を
と説明しています。それは「正信偈」に添えられている、「如衆水入海一味」の一文を指しています。海水が同一の塩味であることに喩えた「一味」の教えは、仏法が貴賎や、男女、そして僧俗にこだわることなく平等無差別であることを諭しています。そのみ教えを表象する一つが「同朋唱和」だったのです。
こうして過去に尋ねる機縁がなければ、あたかも昔からの事だと頷くばかりで、立ち止まるようなこともなかったでしょう。それは、一味としてのお念仏とは何かという問題意識が過去のものではなく、未来、そして現在の私の受け止めを問うているのだと思います。
(『ともしび』2020年3月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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