現実を歩む勇気をいただく
著者:一楽 真(小松教区宗圓寺住職・大谷大学教授)
親鸞聖人は、ご自身を「愚禿」と名のっておられます。「愚」ということは、「自分は今まで賢いと思っていたけれども、何も見えていなかった」ということがはっきりしたということです。その「愚」という字を名前のいちばん上に付けたのは、そのことを忘れてはいけないという覚悟なのでしょう。だからこそ教えを聞き続けなければならない。これが私たちの宗祖である親鸞聖人ではないでしょうか。
私たちはややもすると、しばらく聞法しただけで「だいたい仏法はわかってきた」と言って、賢くなった気になってしまうのです。それは親鸞聖人の生き方とまったく違います。親鸞聖人は、自分は愚かだということを本当にうなずかれました。しかし、愚かだからだめなのではないのです。愚かだからこそ、教えを聞き続けていきましょうと言われるのです。教えに依って、現実を一歩一歩歩んでいこう、これが「濁世(じょくせ)の目足(もくそく)」というときの「足」であります。現代風に言えば、勇気と言っていいと思います。現実を歩む勇気をいただくのです。
世の中に生きているとさまざまな物差し、価値観が押し寄せてきます。例えば病気になった人にはものすごく冷たい。あるいは歳を取って働けなくなったりすると、ものすごく冷たい。そんな世の中ですね。「働けない者がいつまで生きているのだ」と言わんばかりの雰囲気です。そうすると、お年寄りはだんだん「自分は生きておったらいかんのかな?」という気持ちにさせられてくるのです。
それに対して、「そうではない。世の中の物差しのほうが実は歪(ゆが)んでおるのだ」と教えてくださるのが仏法です。一人一人、誰とも代われないいのちを最後の最後まで生ききっていくことが何よりも大事なのです。そのことを仏さまは照らし出してくださるし、その教えに触れるからこそ現実を一歩一歩歩む勇気をいただくのです。 浄土の教えはあの世の話ではありません。あの世に行ってからのことではなくて、この世を生ききっていくための教えなのです。この世が濁っているからこそ教えが要るのです。大事なものが見えにくいからこそ、この教えが必要なのです。
『この世を生きる念仏の教え』(東本願寺出版)より
東本願寺出版発行『真宗の生活』(2017年版⑤)より
『真宗の生活』は親鸞聖人の教えにふれ、聞法の場などで語り合いの手がかりとなることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『真宗の生活』(2017年版)をそのまま記載しています。
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