昨年より続くコロナ禍の影響で、従来の法要行事の取り組み「集まる教化」「出向く教化」が難しい中、「届ける教化」の模索と推進が提示されています。その動きを受けて、高山地区の高山2組にある秋聲寺しゅうせいじが新たに寺報を作ることになったので取材しました。

山を背に佇む秋聲寺の外観

御遠忌法要に向けた取り組み


秋聲寺は高山市街の外縁部に位置するお寺であり、ご門徒のお宅も多くが市街の中心よりやや離れた地域に分布しています。昔ながらのお寺参りを大事にする方々も多く、これまでも主な法要行事にはたくさんの参詣者が集ってきました。秋聲寺には寺頭てらがしらという役が設けられており、各町内にそれぞれ1~2名ほどが毎年順番で回ってきます。行事案内などをそれぞれの町内に配る役を担うその方々の存在が、秋聲寺の「集まる教化」を強力に支えてきたのです。

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その秋聲寺は、本年10月に親鸞聖人750回御遠忌法要を予定しています。そのころであれば、コロナウイルスのワクチン接種も進んでいることが考えられますが、住職の森恒河もりごうが氏は「集まってもらうことができない現状では、同朋唱和の練習などの御遠忌法要に向けた取り組みができません。やはり法要に至るまでの歩み、法要後の歩みというのが大事だと思うんですよね。法要当日のことだけを行うのでは意味がありませんから」と述べ、予定通りの厳修への厳しさをにじませました。

法要への歩みが重要であるにも関わらず、従来の「集まる教化」で取り組みを進めることができない、その中でいかにして法要への機運を高めていくのか。その課題に応えうると考えられたのが寺報だったのだといいます。

昨今はZoomを使った布教やつどい、インターネットを使った情報発信など新しい方法が取りざたされていますが、ご住職は「僕自身はパソコンをあまり使えないからインターネットなどを利用した『届ける教化』はできないし、そもそもパソコンがないというお宅もたくさんあります。そこへいくと、ポストに入れておくだけで、誰でも見られるという新聞(寺報)の利点が浮き彫りになったように思いました」と述べ、改めて寺報の可能性を見出されたようでした。

制作に至った経緯


寺報を作ることになった経緯についてお尋ねすると、列座として所属する高山別院の輪番から言われた「寺報を作れ」という言葉がきっかけだったといいます。ただし当初は、パソコンをうまく使えないこともあり、気が乗らず作業も停滞していたとのこと。そのことに触れた上で、「やっぱり集まることができないというのは大きかったと思います。そういった状況下だからこそ発信していくことの大事さは感じますね」と述べられています。

また、御遠忌法要の記念事業として、秋聲寺ではこれまでに本堂壁面や経蔵の屋根などの修復工事が行われました。しかしコロナ禍の影響で工事完了の披露もできずにいたため、それを何らかの形でご門徒の皆さんに報告する必要があったとも述べられ、そういった事情も寺報を作る意識を推し進める要因であったようです。

御遠忌事業で修復された経蔵屋根(左)と本堂壁面(右)

寺報について


現在制作が進められている寺報の名称は『鹿野苑ろくやおん』、秋聲寺の山号「鹿苑山ろくおんざん」からとった名称です。大きさはA3二つ折で4ページ、御遠忌法要に向けた取り組みとしての創刊号となるため、その内容も、修復工事完了の報告や帰敬式・同朋唱和の案内、花挿方はなさしかたの募集といった御遠忌法要に関する内容が主となり、写真を多く使って見る人の目にとまりやすいものとなるように作っているといいます。配り方については従来の仕組みをそのまま使い、寺頭の方々に協力をお願いするとのことでした。

寺報『鹿野苑』についての展望や思い


最後に、このたびの寺報に対するご住職の思いを語っていただきました。

「僕自身には寺報づくりのノウハウはありません。ですので、輪番をはじめ、僕が所属している高山別院の列座の皆さんからいろいろ教えていただきながら作っています。紙面構成についても、その方々の寺報をサンプルとして頂き、大いに参照させてもらっています。

寺報についての展望ということですが、これからも継続して作っていくために、より一層アンテナを張らないといけないと思っています。ただ、ご門徒さんから話を聞くにしても、新聞のネタに使えるかどうかというような聞き方はしたくないので、難しさも感じます。僕自身、教えを聞いていく身ですから、その聞き方が邪な聞き方にならないように気をつけたいと思います。

読んでもらえるかどうかについては、これまで同朋新聞を配ってもらう際に、僕の母親が短い文章を書いて一緒に配ってもらっているんですが、そういうものでも結構楽しみにして読んでみえる方はいらっしゃいますから、やっぱり出せば読んでくれるのではないかなと思っています。逆にいえば、出さなかったら絶対読んでもらえないですからね。

それから今後のこととして、門徒さんの中から心得のある方にちょっと依頼して、寺報委員のようなものを作り、校正などを手伝っていただけるような仕組みもあわせて考えていけたらと思っています。僕一人ではどうしても知恵がないので。

そのために、まずはひとつ目をつくらないといけないですね。おじいちゃんおばあちゃんくらいの世代の人からすれば孫がやるようなものですから、何しても喜んでくれるんじゃないかなと。その上で、50代40代の人たちが見て、ちょっとでも面白いなと感じてもらい、楽しみにしてもらえる、それで読んでくれた人がお寺に興味を持って行ってみようかなと思ってもらえるようなものを作りたいですね。

もちろん何人もの人を呼び込むようなものを作るのは難しいし、できるといえるわけでもありません。ですから、この『鹿野苑』によって一人でも来てくれるようになったらいいなと思っています」

秋聲寺ご住職の森恒河氏

多くの行事が中止へと追いやられ、従来の取り組みをできなくしてしまったコロナウイルス感染拡大とそれにともなう自粛という状況。それが逆にご住職の心を動かし、それまで停滞していた寺報作りという取り組みを後押ししたという事実が見えてきた今回の取材で、コロナ禍と向き合うとはどういうことかを改めて考えさせられました。

(岐阜高山教区通信員 小原宗成)