-京都教区の大谷大学卒業生が中心となって結成された「京都大谷クラブ」では、1956(昭和31)年から2019年12月にかけて毎月、『すばる』という機関誌が発行されてきました。京都市内外のご門徒にも届けられ、月忌参りなどで仏法を語り合うきっかけや、話題となるコラムを掲載。その『すばる』での連載のひとつである「真宗人物伝」を、京都大谷クラブのご協力のもと、読みものとして紹介していきます。近世から近代にかけて真宗の教えに生きた様々な僧侶や門徒などを紹介する「人物伝」を、ぜひご覧ください!

真宗人物伝

〈32〉松田甚左衛門
(『すばる』753号、2019年2月号)

瀬尾増蔵編『法の繰り言』(顕道書院、1927年、中西直樹氏所蔵) (2)

松田甚左衛門写真(瀬尾増蔵編『法の繰り言』顕道書院、1927年、中西直樹氏所蔵)より転載

1、在家信者組織「弘教講」の結成へ

近代の西本願寺教団を支えた人物に、在家信者のリーダーとして活躍した松田甚左衛門(まつだじんざえもん)(1837~1927)がいます。甚左衛門は天保8年(1837)年、兵庫県北部の浜坂(美方(みかた)郡新温泉町)にある半農半漁を生業とする家に生まれました。浜坂は真宗の新興地域で、甚左衛門は新たに教えが伝えられた活気にあふれる気風の中で育ちました。

10代の時、行商のために各地へ赴いた一方で、篤信の信者である同行(どうぎょう)から信仰談を聞くためにも遠方へ出かけて行きました。その後、20代後半に上京して本山西本願寺のための活動を始めます。窮乏する本山の使者として、三丹地域(丹後・丹波・但馬)や中国地方日本海側の国々(因幡・伯耆・石見)へ勧募してまわった際、行商や同行を訪ね歩いた経験が活かされました。そこで築いた各地にいる同行との連帯が、のちに広域にわたる在家信者組織である「弘教講(ぐきょうこう)」を組織する基盤となったのです。

そして37歳となる明治7年(1874)、豊岡説教所(兵庫県豊岡市)の新築に着手し、翌年春に落成しました。説教所は、従来の寺檀関係とは異なる新たな人びとの結びつきを生み出し、在家信者による自発的な活動をうながしました。それが教団全体を活性化することにもなっていきました。

豊岡説教所の落成直後、2万人を超える講員からなる「弘教講」が結成されました。その目的は、①法味愛楽(ほうみあいぎょう)、つまり仏法をともに聞き、②本山参拝の便利を計るため、でした。甚左衛門はその取締の1人に就任します。弘教講の展開する地域は、幕末に本山の使者としてまわった5カ国にあたりました。

ところが教会結社は教団の構成単位として例外的な存在とされ、明治16年(1883)5月、その結社の1つとして、弘教講は解体に追い込まれてしまいます。

2、学校経営・仏書刊行・会館設立

それから甚左衛門は学校経営に尽力していきます。明治18年(1885)6月に設けられたのが、俗人教育に主眼を置いた仏教主義学校の「顕道学校」でした。しかし4年後には、本山の要請で、僧侶・寺族が普通教育を学ぶ目的で設立された文学寮(普通教校から改称)へ吸収合併され、在家信者による主体的活動はまたもや制限されてしまいます。

次に甚左衛門が取り組んだのは、仏教書の刊行でした。明治24年(1891)、顕道書院施本会を設立しました。安価な一般人向けの書籍を大量に印刷し、法要で配布することを勧めました。また岐阜県・愛知県に大きな被害をもたらした濃尾大地震の被災地へ、経本を送るという活動もしました。

さらに女性への教化・教育にも力を入れていき、明治32年(1899)には京都女子学園の前身校とされる顕道女学院を開設しています。それは、キリスト教の学校設立が活発化していることに危機感を抱いたためでもありました。

その後、甚左衛門ら在家信者の要望が本山に聞き入れてもらえないことがたび重なり、しだいに教団から距離をとっていき、ついに西本願寺との訣別を決意します。そして、真宗教団の世俗的現状が、真宗本来の立場と乖離していると鋭く指摘して、真宗教団と距離を置く念仏結社「小川宗」と活動をともにします。しかし最終的にはそことも決裂していきました。

86歳となった大正12年(1923)4月、甚左衛門は顕道学校の卒業生と協力して、新たな布教拠点となるよう、洋風の仏教会館である「顕道会館」(現・浄土真宗本願寺派京都教区教務所、京都市下京区)を建設します。

そして昭和2年(1927)11月、甚左衛門は晩年に移り住んだ鹿ケ谷(京都市左京区)の草庵で息をひきとりました。

幕末から明治・大正・昭和にわたって、教えを伝え広めるために、時代に先駆けた方法を模索して挑戦し続けた90年の生涯でした。

■参考文献

中西直樹『近代西本願寺を支えた在家信者―評伝 松田甚左衛門』(法藏館、2017年)

松金直美「〈書評〉中西直樹『近代西本願寺を支えた在家信者―評伝 松田甚左衛門』」(『近代仏教』第26号、2019年)

■執筆者

松金直美(まつかね なおみ)