優生思想は「内」だけか
(難波 教行 教学研究所研究員)
事件以来、「優生思想」という言葉を見聞きする機会が増えた。優生思想とは、人間の社会的価値を序列化し、それに基づいて生きるに値するか否かに線を引こうとする思想である。「障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができる」と主張し、施設に暮らしていた十九名を殺傷、二十六名に重軽傷を負わせた植松聖被告の言動は、優生思想に基づいていると、様々なメディアによって指摘されてきた。
そのメディアによって、事件の特異性が強調されてきた。被告の名を聞いて思い出されるのは、今なお、眼を見開き不敵な笑みを浮かべるあの写真ではないか。──異常な殺人鬼。それが彼のイメージだった。ただ時が経つにつれ、事件の普遍性にも目を向けるべきと述べる論者が増えてきた。私たち一人ひとりにも「内なる優生思想」があるとも言われ出した。
宗門においても、自らを省みて、「私の内にも犯人と同様の差別意識がある」といった言説が多く見られるようになった。はたして「私の内にある」とはどういうことか。ともすれば、それは、「内」に「犯人と同様の差別意識」がありつつも、「外」には表れ出てはいない(あるいは、縁あるときのみ出てくるもの)という意味になっているのかもしれない。しかし、障害者差別の現実に向き合ってきた人々の言葉に触れるとき、優生思想が「内」だけにあるとは言えないのではないかと思われるのである。
歴史をさかのぼれば、優生思想をもとに障害者を排除してきた政策はいくつもみられる。一九三九年に始まったナチスドイツのT4作戦(価値なき生命の抹殺を容認する作戦)はあまりに有名で、植松被告自身もヒトラーに言及しているが、優生政策はそれだけに限定されるものではない。ドイツでは、一九三〇年以前から優生政策の素地が形成されていたし、デンマークでは、ナチスドイツより早く断種法が制定されていた。同じく北欧のスウェーデンでも、一九三〇年代から五〇年代にかけて優生思想に基づく不妊手術が実質強制的に行われてきた(米本昌平、松原洋子、橳島次郎、市野川容孝『優生学と人間社会──生命科学の世紀はどこへ向かうのか』講談社現代新書、二〇〇〇年、十一頁参照)。
日本においては、戦前に模索された優生政策が、戦後になって本格的に実施されていく。「民族優生方策」「国民優生法」「優生保護法」──。これらは、障害者が「生まれないようにするため」の政策と言える。優生思想に問題があると認知されたことで、「優生保護法」は「母体保護法」に改定された。ところが現在でも、出生前診断で胎児に疾患があると判明した場合、堕胎手術を受けることは少なくないと言われる。また、かつて「社会開発」の一環として提唱された「コロニー構想」(重度障害者の大量収容施設建設構想)は「隔離するためのもの」と言える。こうした政策は「不幸なこどもが生まれないように」、「不幸な者が生きていけるように」といった善意の顔をして立ち現れてきた。そして価値ある生命か否かを選別し、生まれるはずだった命を殺し、共に住むはずだった命を人里離れた大型施設に追いやってきたのである。
こうした現実は、私の日常と無関係ではない。私は日頃、優劣や能否、美醜などで序列化される世俗的、社会的な価値観を頼りに生きている。時として「社会的価値に関係なく、全ての人は平等だ」と他者に向かって主張できたとしても、自分に対してはどうか。現実に自分自身は、それが本当に私自身の願いであるかも分からないままに、いつも社会的価値をなんとか示そうと、もがいているではないか。そうした私の日常が、政策を支え、排除に結びついている。ならば、優生思想は「内」にとどまっておらず、「外」に表出していると言わなければならない。
三月十六日、横浜地裁で死刑が言い渡された。二十七日には弁護人が控訴したが、三十日、被告によって取り下げられ、翌日、死刑が確定した。死刑は、法律として認められているし、遺族にかぎらず、それを望む声も多く聞こえる。それでも、執行されるということは、今度は彼を「生きるに値しない命」だと区分することになるのではないか。
「内」にはとどまらない優生思想によって排除を生み出している。その事実に向き合うことなくして、この事件の終結はないだろう。
(『真宗』2020年5月号掲載 ※役職等は発行時のまま掲載しています)
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