「大谷派を棄ててよかった」の真意に教えられて
岐阜高山教区益田組永養寺住職 旭野 康裕
■「謝罪」の表現を摸索して四半世紀
1996年の「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」は、「謝罪をしていく」具体的な歩みを始める、と宗派を超えて社会へ意思を表明したのだった。同時に「反省の言葉」や「責任の自覚」で自己解決させて終わりにしない、という自らへの誓いでもあった。
出会いと交流を重ね、出会った人や言葉に教えられ、謝罪に血を通わせる摸索の四半世紀が過ぎた。全国の療養所総入所者数は5532人(平均年齢70.6歳)から942人(同87.4歳)(2022年2月現在)になった。25年の歩みで、ハンセン病問題だけでなく、社会構造の歪みが惹起させる諸問題を無関心に傍観しない「動き出す人」が生まれた。時代の相に翻弄され、苦しみ悲しむ弱き者の姿に機敏に共感し動き出す。頭で考えてから動くのではなく、心動かされて即座に動き出している、そんな人を誕生させてきた。苦しみ悲しむ人を前に、現前の苦難や悲嘆を放置したまま、まず「真宗の課題」なのかを問うことに終始して、結局動かない体質へ警鐘を鳴らしてきた。
過ちへの怒りや悲しみの声を人類普遍の願いへと昇華させ、犯した罪から逃げず、過ちに学び、謝罪の意味をたずね続けてこそ、過ちをおかした者の責任ある姿勢と信じる。昇華した願いは「謝罪をしていく」動きとなって、次世代へと継承されていくはずだ。ハンセン病問題を終わった問題にし、課題とならなくなった時、大谷派はまた同じ過ちを繰り返すかもしれない。
■ハンセン病問題は終わっていない
今もハンセン病の病歴や、患者だった家族の存在を隠し、社会で息をひそめて暮らす元患者や家族がいる。国の隔離政策に無批判に加担した私たちの罪責は時間経過で消えることはない。過去の過ちを正し続けてこそ、未来は正しく開かれるはずだ。「謝罪し続ける歩み」は道半ばである。
■迷った私たちを気づかせる人とことばとの出会い
道に迷った時、迷ったのではと疑う者は道を帰る勇気を持つ。しかし正しいと信じて疑わない者はますます迷っていく。迷いを気づかせてくれるのは誰か。ハンセン病問題と関わる中で、数々の忘れられない人と言葉との出会いがあった。中でも2008年、高山での全国交流集会で、柴田良平氏(故人)の「私は真宗大谷派を棄てた」にまつわる関連発言は、ハンセン病問題と関わる私たちの姿勢と視点を厳しく問い正し、その後の活動に大きく影響を及ぼし続けている。
■親鸞はどこにおられるのか
柴田氏は、真宗大谷派は棄てたが「親鸞さんはちゃんと私と一緒に生きておられる」と語られた。また「親鸞さんはあなたたちをお叱りになられますよ」とも。
私たちはこんなにも親鸞を身近に親しみ深く感じているだろうか。親鸞を絶対権威化してただ崇め、教えと言葉の中にだけ親鸞を見てしまい、遠い存在としていないだろうか。教えと権威で隔離に宗教的意味を与え、隔離の悲しみや怒りを奪ってしまい受容させていく大谷派光明会の姿勢に、「親鸞に叱られる」感覚など私たちには微塵もなかったのだろうか。
■人間親鸞の目線と生き様に導かれて
18歳で発症し密かに長島愛生園に入所された柴田氏は、失意の自分を立ち直らせようと、幼少から寺の住職に教えられてきた親鸞の著作を必死に読み、思想の素晴らしさを確認される。尊敬し信頼するその住職が入所の秘密を「国土浄化と家族をまもるために苦労しながら頑張っておられる」と話したことが噂となり、ご家族の結婚や縁談が離婚・破談になる。しかし柴田氏は決して住職を恨まず、誠実な住職に隔離の大義を悪意なく語らせた「大谷派光明会の本質・性質を肌で感じ」、「当時の大谷派は宗祖の教えと逆のことをやっている」と見抜き、「憤りをもって真宗大谷派を、光明会を恨んだ。真宗大谷派をはっきり棄てた」のだ。
■「謝罪声明」に見た懺悔の心
「謝罪声明に「宗祖の教えと言葉に帰る」とあり、声明に大谷派の懺悔の精神を見た」ことで柴田氏は感激する。「私は真宗大谷派を棄ててよかった。私の生き方が間違っていなかった、という喜び。この喜びで私は大谷派と交流を始めました」。 過ちを認め、謝罪していく道の明確な方向が「教えと言葉に帰る」と示されていたからだ。「親鸞というお方を、そこにもたれかかるんじゃなくて、我々も、きちんとその精神を生かしていけば、どんなに困難な道も、必ず開けると。それは私の人生を通して言えるんです」。
■人間親鸞の目線と生き様が、宗祖親鸞の教えと言葉に帰らせる
人間親鸞の目線や生き様を感じられずして宗祖の教えと言葉を真に理解できるのか、柴田氏はそんな感覚を教えてくださったのではないか。高山で「真宗を棄てた」と発言した責任を全うしたいと、病気の身で高山を再訪され、「親鸞はどこにおられるか」という題でご門徒満堂の高山別院本堂で講演された。その後も大谷派へ復縁することなく還浄された。その復縁できない真意を「光明会から深刻な被害を受け、グサッと心に杭が突き刺さったまま家族は死んでいったし、私にも突き刺さったままだ。もう取り返せない」「皆さんにはかわいそうな人に何かをしてあげる運動を超えてほしい。それは共に生きるという運動だろう。取り返せない人生を、これから皆さんと共に歩みながら生きていきたい」と語られた。
光明会で深く傷ついた怒りや悲しみは今も消えていない。しかし消せない怒りや悲しみを越えた先の広大な世界を、親鸞の生き様と目線から教えられ、親鸞の教えと言葉と共に人生を生き抜かれたのだろう。「ハンセン病とは縁の薄かったこの町で、第七回交流集会の一粒の思いが、この高山の地で育ててくださっておった皆様と今日お会いしてきて、わたしは非常に満足感といいますか、これ以上ない喜びを感じました。確認しました」。
謝罪声明に血を通わせようとする懺悔の種があちこちでこぼれ落ち、芽吹いたことを確認した柴田氏は、将来大輪の華が「共に」の大地に咲き誇ることを願われている。
真宗大谷派宗務所発行『真宗』2022年6月号より