1909(明治42)年5月4日、庄太郎の7回忌が総会所で勤められ、「妙好人庄太郎の法要」として、宗門機関誌の『宗報』でも報道されました。
その直後の6月には、大須賀秀道編『明治の妙好人 砺波庄太郎』が出版されています。しかし、同書や砺波庄太郎の存在は、しだいに忘れ去られてしまいました。
1998(平成10)年、偶然に同書が発見され、2001(平成13)年に復刻されました。
本山参詣者や旅行者の宿泊施設として運営されてきた砺波詰所でしたが、維持委員の高齢化などにより、2003(平成15)年に廃業が決断されました。
その後、存続へ向けた運動が、旧・砺波郡の僧侶や門徒を中心に推し進められましたが、その際に原動力となったのが、同書で語り継がれた妙好人・砺波庄太郎を生み出した詰所の精神でありました。砺波詰所では、全国から京都へ来れる人々の出会い、語らいの宿泊施設として、今なおその精神が受け継がれています。