「落葉が多くなったので掃除に来ました」
「草取りの続きをしにきました」
「お庭にもう少し花を植えたい」
「みなさま一服しましょう、お茶は私が入れます」
これらは皆、門徒の皆様が自身でおっしゃることです。大專寺では、お寺に携わる一人ひとりが、自分の関わる場としてお寺に何ができるかを考え、自らのペースで行動しておられます。
◆みんなのお寺へと変わるきっかけ
9年ほど前、夫である前住職がご病気で亡くなられた時、今の住職である恒子さんが、仏法にふれていただける場を作りたいと発足した同朋の会。さらに、みなさまに来てもらえるお寺にしたい、と本堂改修について総代会で話されたことが最初のきっかけです。予算的には建物の外側を直すだけで精一杯であることをご相談したところ、それでは内陣や細かいところは自分たちの手で、との思いが、総代や同朋の会の皆様の中から生まれました。
專門的なところ以外の清掃や装飾、灯明に照明、浜縁の塗装、梁のつや出し、巻障子のうるし・金具・紗の修繕、トイレの設置まで。すべて、門徒の皆様の一人ひとりの知恵と技術でなされています。
中でも、瓔珞を一度解体し、すべての金具を磨き上げ、もう一度針金で繋ぎ直す瓔珞つなぎは、ただ外から見るだけであった内陣のお飾りを、自分たちの手で作り上げることができる、とお寺への意識が変わる一つの大きなきっかけとなりました。その丁寧な仕上がりは、他のお寺からも私たちの瓔珞も綺麗にして欲しいと頼まれるほどです。
◆みんなのお寺での日常
そうして新しくなった大專寺では、さらにどなたにも使っていただけるよう、工夫が続けられています。快適に使っていただけるよう、スロープの設置や車椅子の常備によるバリアフリー化、キッチンやエアコンの設置などの環境改善。また、境内の掃除、庭のお手入れ、消耗品の補充、行事の前のお手伝いなどの日々の作業。これらはお寺からお願いするのではなく、自分たちが使うお寺だから、と気がついた人が率先して行われています。
書院なども行事の控え室として解放することで、結婚式、ご葬儀の場としても使っていただけるようになりました。お通夜ではご遺体とともにお寺に泊まり、初七日も四十九日もお寺でお勤めいただけるようになっています。ご葬儀で利用された遺族からは、「葬儀場ほどかしこまらず、地域の人と共に見送ることができた」「いつも手を合わさせていただいていた、私たちのお寺の仏さまの元からお浄土へ送り出していただけた」といった声が寄せられています。
さらに、お寺の行事だけでなく、どのような場としても使ってほしいという願いから、大專寺は様々な集まりの場としても使われています。花まつりやお経の稽古などのお寺としての行事の他にも、ヨガ教室、リコーダー・ギター・大正琴などの発表の場、手作り教室などの場として利用されているほか、子どもたちの放課後の居場所としても解放されています。
仏典に限らず皆で持ち寄られた本が収められた梅の花文庫という書棚には、こうした活動で集まられた方が一言書き残すノートがあり、利用された皆様の大專寺への思いと感謝が綴られていました。
◆みんなのお寺であるには
「皆様にお願いすることは心苦しいと、私自身遠慮の壁を作っていたところはありました」とおっしゃる住職でしたが、そうした距離は、本堂の修復をとおしてお寺と門徒様の双方から近づき、一つとなりました。皆様が使うお寺、私が使うお寺。一人ひとりが何をしたいか、何ができるかを考え、行動することで、皆の力で実現していく。住職が招きもてなすのでなく、門徒様は訪ねていくだけでなく、自分のできないことを補ってほしいと頼りあえる。大專寺はそうして「みんなのお寺」としてみんなの手でお守りされています。
「お寺はあくまでも一人ひとりが仏縁に遇うところ。だから、仏さまのところへ誰かが、その人自身に縁のできた時、いつでも来てもらえるお寺であるように毎日準備を整えるようにしています」と住職は語られました。
(大垣教区通信員 内田篤宏)