法語に込めた思い

 SNSに投稿したものに対する評価についつい振り回され、孤独を感じてしまうことがあると思います。深夜であればその気持ちはさらに大きくなるでしょう。
 そのような夜中の時間であっても、「世界はまだ動いている」、「私もまだ見捨てられていない」と実感できる瞬間の、救われていく感覚は、私たちの生きる力になるかもしれません。

掲示板に込めた思い

 寳林寺は、江戸時代の初期、近くを流れる矢作川に堤が築かれ、入植・水田造成がすすめられる際、入植者らの心の拠り所として創設された。それら先達が眠る墓地に隣接し、鐘楼門の脇にある掲示板は、お墓参りや散歩をしている方々が目にされる。
 掲示伝道活動は、前住職が長年書き続けていたものを現住職が継承した。「自分で言葉を考えるのは苦手なので著名な先生方の言葉なども参考にしています。しかし自分に響かない言葉は他の人にも響かないと思っているので、そのことを大切に言葉を選んでいます」と語る。
 試行錯誤するうち、Eテレの「NHK短歌」という番組で、視聴者が普段の生活の中で率直に感じたことを投稿した短歌に出あい、心を打たれたという。最近は、同番組で「そんな見方もあるんだ」と感心させられ、住職自身の心に響いたものを中心に紹介している。
 迷いながら言葉を選び続ける歩みは、私たちの人生と似ているのかも知れない。これからも掲示板では、新鮮な見方にふれる「言葉」の試みが続けられていく。

(岡崎教区通信員・牧 仁志)


『同朋新聞』2025年9月号「お寺の掲示板」より
ご紹介したお寺:岡崎教区 第15組 寳林寺(住職:鈴木 知見)
※役職等は『同朋新聞』掲載時のまま記載しています。