報恩講とは?!

著者:戸次公正(大阪教区南溟寺住職)()


報恩講という「法事」

親鸞さまの「法事」をおつおめするのが報恩講です。それは、本願の世界に邂逅(かいこう)した人である親鸞さまの生涯と教えを追憶(ついおく)する集いです。

「法事」について、浄土真宗の儀式の源流を訪ねると、善導大師(ぜんどうだいし)(あらわ)した『法事讃』にさかのぼります。そこでは、「法事」とは「讃嘆(さんだん)懺悔(さんげ)」の場であると説かれます。

一般的に言えば、「讃嘆」とは「ほめたたえること」、「懺悔」とは「罪を告白し悔い改める」ということでしょう。報恩講という「法事」を、「讃嘆」と「懺悔」という言葉からたずねてみたいと思います。

報恩講では、親鸞さまのご生涯を絵画とともに伝える『本願寺聖人伝絵(ほんがんじしょうにんでんね)(御絵伝・御伝鈔)』の詞書(ことばがき)を拝読して、その歩みを「讃嘆」します。

師である法然上人との出あいと別れ。越後や関東での出あいと別れ。そして往生された親鸞さま自身と門弟との別れ。『御絵伝』は「出遇いと別れ」の物語でもあると気づかされます。また「承元(じょうげん)法難(ほうなん)」の段では、流罪に遭われた親鸞さまは還俗させられ俗名で生きることを強いられますが、「僧にあらず俗にあらず」と非僧非俗の立場を示されます。

親鸞さまはさまざまな出あいと別れの中で、そしていかなる社会的立場にあっても、ご自身が出あわれた阿弥陀如来の本願の世界に生きられました。そうして伝えられてきた念仏の教えに、いま私が出あっていく。そのことが、報恩―恩に(むく)いるということなのです。

本願の世界から(ゆる)されていく

しかし、我が身と心のあり方はどうでしょう。すべての人と同じいのちを生きることを願いながらも、おのれを善しとすることで「同朋」の精神から乖離(かいり)してしまっていはいないだろうか…!? 恩に報いる難しさを思い知らされるのが「懺悔」としての法事の意なのでしょう。

ある時、たまたま作家の井上ひさしさんのあるエッセイに出会いました。それは、本を「万引き」してしまった少年時代の告白です。軽い気持ちでやってしまった万引きがお店の人に見つかってしまった井上さんは、書店のおばあさんに本を盗むことの罪の重さを淡々と聞かされた後、裏庭で薪割りをするよう言われます。しかし最後、おばあさんは万引きを赦してくれただけでなく、薪割り分の手間賃を渡して「おにぎりを食べてお帰り」と声をかけてくれたのです。

「このときわたしは、二〇〇円の労賃と、英和辞典一冊と、欲しいものがあれば働けばいい。働いても買えないものは欲しがらなければいいという世界の知恵を手に入れた。まったく人生の師は至るところにいるものだ」。

井上さんは、自らの行いへの「赦し」を体験的に教えられたのです。おばあさんの態度はあたかも「あなたが目覚めるまで待ちます」という阿弥陀仏の唯除(ゆいじょ)の心を表しているようです。私は、この出来事を書き留めておかずにはいられなかった作家の姿勢から「懺悔」ということを強く聞かされました。

「懺悔」とは、本願の世界に生きようとしながらそう歩めない我が身と心の自覚です。そして、決して救われるはずのない私が、本願の世界から赦されていく。そのことを(しら)せるのが、まさに報恩―恩を報せるいとなみであります。

報恩講をおつとめする大切な意味

「報恩講」を今年はどのようにお迎えしようかと毎年考えています。それは、報恩講という伝統をいまに表現するいとなみといえるかもしれません。

私がお預かりする寺の報恩講では、法要の趣旨を告げる「表白(ひょうびゃく)」を毎年創作することを大切にしています。世界では戦争や災害など、眼を背けてはならない出来事ばかりが起こっています。そんな現実を生きる私には一体なにができるのか、できいているのか。表白のなかに「懺悔」を表現せざるを得ないのです。

また、勤行の後には『御絵伝』の絵解きを行っています。そしてだれでも自由に絵解きに取り組んでいただけるようにという思いで、有縁の法友や、後を継ぐはずの息子にも語ってきました。しかし旧年、秋彼岸果ての日に、息子釋公然・戸次拓史は病によってはかなくなり、浄土に還帰(げんき)せしめられました。

親鸞さまの歩みを「讃嘆」し、「懺悔」せざるを得ないこの身を教えられる。そして私にとっては、愛別離苦(あいべつりく)の逆縁の悲しみを紡ぎならお迎えする今年の報恩講です。恩に(むく)いるなかで、自分自身が(しら)されてくる。これが報恩講をおつとめする大切な意味だと私は受けとめています。

 

東本願寺出版発行『報恩講』(2024年版)より

『報恩講』は親鸞聖人のご命日に勤まる法要「報恩講」をお迎えするにあたって、親鸞聖人の教えの意義をたしかめることを願って毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『報恩講』(2024年版)をそのまま記載しています。

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