福嶌龍徳(九州教区玄徳寺住職)


あたたかな日ざしが春の訪れを告げ、私の地元阿蘇(あそ)では、草原の一斉野焼きが行われ、冬ごもりしていた若草が萌え出で大地が色づいた頃、お彼岸(ひがん)を迎えます。

「彼岸」とは仏教が伝えた言葉で、いま私たちが生きている迷いの世界「此岸(しがん)」に対して、その迷いの世界を超えたさとりの世界をあらわします。彼岸は阿弥陀仏(あみだぶつ)の「浄土」であり、また、私たちの(かえ)っていく世界ということです。迷いの世界に生きる私たちを照らし出し、私の在り方や生き方を問いかける世界を「彼岸」と言われるのです。

お彼岸は春と秋の二度ありますが、昔から好季節であるこの時期に仏道修行が盛んに行われてきました。真宗門徒にとっては、亡き人を(しの)(とぶら)うことをとおして仏法に出遇(であ)うことを大切にしてきましたので、この時期に各地の真宗寺院では法要が勤まり、お墓参りをする習慣ともなったのです。

昨年(二〇二〇年)、私の祖母が春の彼岸を目前にして、百八歳で亡くなりました。熊本地震がきっかけで、それまで疎遠になっていた親戚から、お見舞いの連絡と、懐かしい祖母の姿に一目会いたいという相談もあり、近々小宴を考えていた矢先のことでした。

葬儀の準備をする中で、ご門徒や親戚から、たくさんの思い出を聞くことができました。その一つに、本堂と庫裏(くり)にあるお内仏(ないぶつ)の、朝夕のお給仕(きゅうじ)のことが話題になりました。祖母は、身体が弱り境内(けいだい)の掃除や庭仕事ができなくなっても、仏さまのお給仕は続けていました。

また、祖母がお勤めの際、「正信偈(しょうしんげ)」に添えて、地元に伝わる「南無阿弥陀仏の日暮らし」(作者不詳)という詩を、日ごろから口ずさんでいたことが思いだされました。この詩は、祖母が幼少の頃に覚えたもので、書いたものがなかったのですが、幸いにも叔父が大切に書き留めてくれていたのです。

あぁ知らなんだ 知らなんだ 三度の食事は いとわねど

二度のお礼が 大儀でならぬ

日々に一度の お仏飯(ぶっぱん) 枯れたお花の たてかえも

不承不承(ふしょうぶしょう)でする このわたくしを 第十八願の お目当てとは

今の今まで 知らなんだ 知らぬ昔は 是非もない

知らせてもろおた 今日からは 両手あわせて 南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏の 日暮らしが 何よりと存ずる 次第でございます

葬儀後この「詩」をプリントし、祖母の姿にならい、お内仏の前で親戚みんなで唱和しました。すると、叔父や叔母の声と一緒に、孫や小さな曾孫たちの唱和する声が聞こえてきたのです。見ると、配ったプリントを見ずに「詩」を暗唱していたのです。この詩は、祖母から日々聞いていた叔父や叔母たちから、その子や孫たちへと、また語り継がれていたのです。お念仏の教えは、親(先人)の聞法の姿に、やがて子孫(後の人)に伝わることを地元の門徒方は「うしろ姿のお念仏」とも言ってきましたが、祖母が私たちに、「どうかお念仏申す生活をしておくれ」と願い続けていたことを教えられました。

親鸞聖人は「浄土和讃(じょうどわさん)」で次のような一首を詠まれています。

弥陀(みだ)名号(みょうごう)となえつつ 信心まことにうるひとは

憶念(おくねん)の心つねにして 仏恩報(ぶっとんほう)ずるおもいあり (『真宗聖典』五六九頁・初版四七八頁)

意を取りますと、「南無阿弥陀仏とお念仏を(とな)える生活は、弥陀の本願がつねに私にそそがれ、はたらき続けてくださっていることをいただく生活である。この本願(ほんがん)のおおいなる願いに育てられる日暮らしは、たえず仏のご恩、報恩(ほうおん)の生活であります」と、お念仏の生活を(よろこ)んで(うた)われているのです。

お念仏の生活とは、日々、苦楽の生活(此岸)にある私が、弥陀の本願(彼岸)に照らし出され、どこまでもその生き方を問うていく生活であります。

今年もお彼岸を迎えます。彼岸会の仏事に遇い、亡き人から願われている「南無阿弥陀仏」を中心としたお念仏の生活を訪ねてまいります。


東本願寺出版発行『お彼岸』(2021年春版)より
『お彼岸』は、毎年東本願寺出版より発行されている冊子です。本文は『お彼岸』(2021年春版)所収の随想の一つをそのまま記載しています。