「先生は怒りん坊やなぁ」
先日、子どもが言った何気ないそのひと言に、思わずドキッとした。
保育士になって2年目、新しい環境にも慣れ、日常の保育にも余した裕を持てるようになってきた。子どもたちにも慕われていると感じ、毎日が順調に過ぎているように感じていたとき、子どもが言った「先生は怒りん坊」という言葉に、ふと立ち止まらされた。
子どもの眼は正確である。確かに私は怒らない日はないくらい、怒ってばかりいた。けれど、子どもに「怒りん坊」と思わせるほど、私は何にそんなに怒っているのだろう。
本来、保育の中で怒らなければならないときは、子どもが怪我につながるような行動をしたときくらいしかないはずである。けれど私はふり返ると、子どもに対して、自分の都合で、自分の満足のためばかりに怒っていたように思う。
自分の思うように動かない子どもに苛立ち、怒ることで言うことをきかせようとする。けれど怒った後の子どもの悲しそうに私を見つめる顔を見て、いつもモャモャした何かが残る。そしてふと思う、「望んだ世界はこれであったか?」と。
大谷大学短期大学部で保育を学び、社会に出る前に確かな何かを得たくて京都の大谷専修学院に入学した。そこでの1年で知らされたのは、自己中心的にしか生きられない自分の姿、他者と共に生きることの難しさ、そしてどんな私でもそのままに受け入れてくれる摂取不捨の如来の御心であった。学院での学びと喜びが、いつからか「子どもたちがそれぞれありのままに受け入れられ、いきいきと大きくなってほしい」と願わせ、私を保育の道へと歩ませてくれた。
その願いから始まった生活が、いつのまにか願いを見失い、子どもをありのままに受け入れるどころか、「なんでできないの」と責め、「そんなあなたじゃだめ」と否定し、「大切にしたい」と願った存在を、傷つけ、踏みつけにしている私がいた。
自分の思うとおりに動かない「厄介な子」の声には耳を閉じ、怒ることで威圧し、その子の口を封じようとしていた私の生き方は、いのちのつながりを見失った、孤独で閉鎖的な生き方であった。
「怒る」という、自分の強さを誇示しての関わりからは、不信、と萎縮した関係しか生まれない。そこからどうして「ありのままにいきいき生きる」ことができようか。
「えらばず、きらわず、みすてず」の如来の心を憶い起こすところに、初めて力で制するのではなく、その子のことを知ろう、わかろうとする、水平な関係が開かれる。
日常の中での子どものふとした言葉や表情が、如来の心を忘れて走り回る私を立ち止まらせてくれ、教えを聞く身へと立ち返らせてくれる。そして聴聞することで、広く深く他者と交わり、つながっている私を自覚する。そこから本当の意味で、「共に生きる」という広く深い生活が始まっていくのだと思う。思いどおりにいかない現実。その1つ1つに声を荒げるのではなく、深呼吸でもして、膝を曲げ、目の前の他者と目と目を合わせ、その声を全身で聴きとっていきたい。
指方 和音(長崎教区真光寺衆徒・保育士)
『今日のことば 2007年(11月)』
※役職等は『今日のことば』掲載時のまま記載しています。